第3節 曲阜市
曲阜市は泰安市の70Km南にあります。孔子と孟子に関係する建造物があることで有名です。
ここで抱鼓型門墩:1組 托日型門墩:5組と門枕石36組=合計42組を見ました。
孔子を祀った孔廟(22㌶)・孔子直系子孫が住み役所とした孔府(16㌶)・孟子を祀った孟廟(4㌶)・孟子直系子孫が住み役所とした孟府(2㌶)は巨大な建築群ですが門は原則的には無彫飾の門枕石を備えてました。
画像1:孔廟の配置図 (画像をクリックして 大きくなりますヨ)
南北1kmと大変広い廟です。
画像2:孔廟の弘道門
画像3:弘道門の門枕石
画像4:孔府の大門
ここも大きな門枕石を備えてます。
画像5:孔府内の門枕石を備えた門
画像6:孟廟の正門:泰山気象門
画像7:泰山気象門の門枕石
画像8:孟府の正門:亜聖門
画像9:亜聖門の門枕石
画像10:孟府の門枕石を備えた内宅門
曲阜市内でみた門墩を紹介します。
画像1:孔府の第二門(内側)
画像2:孔府の第二門の門墩 (高:89cm 幅:33cm 全長134cm)
模様は何も彫られていませんが堂々とした托日型門墩です。
画像3:孔府内の西学院の門
画像4:孔府西学院の抱鼓型門墩
画像5:孔府鉄山園の門
孔子の73代子孫孔慶鎔氏が清代嘉慶年間(1796~1820年)に拡張
した孔府の背後の花園の門です。
この門には北京式抱鼓型門墩が設置されています。
画像6:后聖の門
尼山(孔子生誕地)に孔子の父親を祀る為に清代に建築后聖の門
画像7:后聖門中央の門墩 (高:84cm 幅:31cm 全長106cm)
模様は何も彫られてない簡素な托日型門墩です。
画像8:尼山孔廟の辺門
画像9:辺門の托日型門墩 (高:99cm)
画像10:曲阜展覧館の出入口
曲阜城壁に設置されている展覧館への入口模様は何も彫られて
ない簡素な托日型門墩が設置されていました。
曲阜で訪れた旧跡の状況を紹介します。
いずれも門墩は無く、門枕を備えていました。
画像1:顔廟
孔子の高弟顔回を祀った祠
画像2:顔廟の正門の門枕石
中央と両脇の出入口に門枕石が備えられてます。
画像3:周公廟の欞星門
BC11世紀に商王朝を倒し周王朝を建てた武王の弟を祀った廟です。
北宋代の1008年に再興された欞星門です。
画像4:欞星門の門枕石
この門には門枕が使われています。門柱に抱鼓の石がありますが、
これは門柱の前後をささえる滾墩石で、門墩ではありません。
画像5:少昊陵の山門
伝説上の五帝の一人少昊の陵への門です。
画像6:少昊陵山門の門枕石
画像7:壽丘の山門
伝説上の五帝の一人黄帝がBC26世紀に生まれた寿丘に黄帝を祀る
ために建てた祠の山門です。
ここも門墩を使用せず、無彫飾の門枕が設置されています。
画像8:孔林の山門
孔子一族の広い墓地の山門です。
門枕石が使用されてます。
画像9:孟林の第二門
孟子一族の広い墓地の門です。
門枕石が使用されてます。
画像10:尼山書院の門
童子の頃の孔子が勉強した書院の門です。
ここも門墩を使用せず、無彫飾の門枕が設置されています。
春秋時代以前(BC500年以前)には門墩は発生していなかったので
しょう。
曲阜市では門枕を使った民家を見かけました。
画像1:新文化街の民家門
新文化街は古美術品商店や土産物屋が並ぶ町並みです。
画像2:新文化街の民家の門枕
古美術品商店の住居部に入る門です。
正面に“福”の字を彫った門枕石を設置しています。
門枕の後ろにある縦に四本棒を打ち付けた赤い板は、門扉を閉めた
時門枕の縦溝に差込んで門扉の下の空間を封じる板です。
門の必需品です。
画像3:仁義街の民家門
地元で古い時代の邸宅が残っている町並みと言う仁義街の邸宅の門。
無彫飾の門墩が使用されています。
棗の実が熟れており、ビニールを敷き、枝をゆすり棗の収穫中でした。
美味しかった!
画像4:周公廟街の民家門
周公を祀った廟の門前町の民家
正面に“福”の字を彫った門枕石を設置しています。
画像5:周公廟街の民家の門枕
画像4の門枕の後姿です。
第3節 曲阜市 終