第4節 漢中市

 西安市を起点に渭河を遡り、宝鶏市から秦嶺山脈を越えて成都市に至る古代からの幹線経路の途中に漢中市は有ります。

 

  三国志の英雄諸葛孔明は漢中市の北方に横たわる秦嶺山脈の北山麓に繋がる五丈原で亡くなり、ここ漢中市の約5km西の勉県に諸葛孔明の墓があります。

   画像1:諸葛孔明の墓の大門         (画像をクリックして 大きくなりますヨ)   
       墓は三国時代の263年に造られましたが、この大門は清朝1802年の

      建造物です。

   画像2:大門の獅子型門墩

 

   画像3:墓墳(武侯墓)の入口の山門
        山門は清朝1803年の建造物です。

   画像4:山門の獅子型門墩

 

   画像5:諸葛孔明の墓
        古木に囲まれた森閑とした広場の中央に静かに鎮座しています。

 

 張良廟に古風な門墩がありました。

 

 漢の初代皇帝劉邦の参謀役だった張良はその職を辞したのち、漢中市の約10km北の紫柏山山中に庵を建て、そこに籠って道教を極めました。
 漢代末期にそこに創建された張良廟は道教の聖地の一つとして陝西省重点文物保存単位になっています。
 ここに三組の門墩があります。

   画像1:張良廟の正門磚楼

 

   画像2:進履橋
         廟の正門磚楼を入った正面の堀に架かった屋根付きの橋
         この橋が何時の時代のものか定かではないが、清朝1847年揮毫の

             扇匾が掛かっているので、この頃のものだと思われます。
   画像3:進履橋の抱鼓型門墩
         屋根付き進履橋に門墩があります。
        現在門扉が無いので注意して見ないと門墩とは気が付きません。
         正面に大輪の花を彫った箱型の台座に長い爪を立て丸い太鼓を支

              えた抱鼓型門墩です。
        太鼓の内側には霊芝を銜えた仙鶴、外側には麒麟が浅く平彫りさ

              れています。
        古風な感じのする簡素な門墩です。

 

   画像4:大山門
        清朝1849年に進履橋に接続してこの門は建てられました。
   画像5:大山門の箱子型門墩
        この箱子型門墩も模様は彫られていない、質素なものです。
        良く似た門墩が漢中市内の飲馬池の王家大院の門でも見られます。    
   
   画像6:第二山門 (撮影:前田貴美子さん)
        清朝1817年に建てられました。  
   画像7:第二門の抱鼓型門墩
        箱型の台座の上に三日月型の鼓座を乗せ丸い太鼓を支えています。
        模様は彫られておらず、進履橋の門墩より古風で質素な門墩です。
        太鼓が台座から前にせり出しています。黄河流域では少数派の形

       です。長江の下流域に多い形です。

 

箱子型門墩

 三国志の一方の勇劉備玄徳が漢中市の約5km西の定軍山の戦いで曹操軍に
勝利し、漢中王を宣言した場所が漢中市の重点文物保存単位になっています。
 その構内に西安式箱子型門墩が三組保管されていました。

   画像1:劉備が漢中王就任を宣言した所
   画像2:収蔵されている西安式箱子型門墩 その1
   画像3:収蔵されている西安式箱子型門墩その2
   画像4:収蔵されている西安式箱子型門墩その3
        いずれも模様は彫られていません。

門枕

 

 門の開閉装置として門枕が活用されていました

   画像1:民家の物置出入口
   画像2:民家の物置出入口の門枕木  

 

 

 ”劉備称漢中王処”前の通り(西→東)  

 この通りに面した門でも門枕を見かけました。

 

            場所:勉県勉陽鎮

第4節 漢中市 終