第2節 党家村

 党家村は西安から東北約250km離れた300軒(1985年現在)ばかりの村です。

  画像1:党家村の位置                       (画像をクリックして 大きくなりますヨ)

 

 2001年夏大阪府建築士会の方から「明清時代の民家が保存されている村があるから是非調べて来て下さい。」と紹介を受けて、党家村の存在を知りました。
 この時、日中連合民居調査団の報告書『党家村―中国北方の伝統的農村集落』と雑誌のコピー≪風雨滄桑党家村≫を頂きました。

 

 その年の10月 西安の陝西師範大学留学中に党家村を1日だけ見物に行き、北京や西安とは違った門墩を眼にして是非調査したいと思い立ちました。

 

 定年退職して暇だった弟を誘って 翌2002年5月約1週間調査に行きました。事前に小雁塔の孔所長に趣旨を連絡しておきました。
 5月10日 西安の小雁塔に着くと『弟さんと二人だけでは何かと不便だろう。貴方と親しい職員を同行させるからその車を使ってくれ。それとこの人は党家村が属する韓城市の文物管理所長で私の友達だ。党家村に行くのに同行してもらう様頼んである。何かあったらこの人を頼ると力に成って貰えるヨ。』と周到な手配をして頂いており恐縮しました。

 

 同行の職員侯暁軍氏は、片言ながら日本語が出来るので訛の激しい現地では通訳となってもらいました。また文物管理所長さんは拓本採りに村長から二千元要求されたのを不要にした上、何処でも自由に拓本を採ってもいい事にして下さいました。大変助かりました。

 

 翌日 西安を出発。途中、黄河を見下ろす岡の上の「史記」の著者・司馬遷の墓を見学しました。司馬遷は韓城市の出身だそうです。

 

   画像2:畑の向こうの岡に見える司馬遷の墓
   画像3:司馬遷の墳墓
   画像4:墓の近くの黄河岸。 こんな奥地にも日中戦闘の跡が……。

                                 (撮影:土屋敦子さん) 
   画像5:党家村では数個の門墩を拓本に採らしてもらいました。

 

 

 党家村は元朝の1331年に党恕軒と言う農民一家五人が住み着いたのが村の起こりです。

 三百年後の明朝末には20~30戸、100~200人に増え、清朝中期には河南省に出向いて商業を営んで富をたくわえ、当時の韓城県で最も豊かな村に発展しました。清朝後期の嘉慶~咸豊年間(1796~1861)に本村の主要な建造物や住宅が建設されました。
   
 村が更に裕福になり、度重なる匪賊の襲撃から村を守る為に、1851年から3年の歳月をかけて、本村の東北にある高台に城壁を築き、その中に新たに上村を建設しました。この上村は高台のため、水が充分には得られないので、平時は川沿いで水の豊富な本村の旧宅で生活をしていました。 

 清朝末には、それまで順調に発展した商業が行きづまり、財力が弱り村の建築活動も停滞しました。このため約200年前の清朝嘉慶~咸豊年間の姿を今に留めることになったのです。

 村では教育にも力を入れ、狭い村に最盛期には私塾が13箇所もあり、明清両時代を通じて“進士”1人“擧人”4人と5~60人の“秀才”を出した教育熱心な文化レベルの高い村でした。

 1949年の新中国誕生直前の村の状況は、人口約610人、99戸、耕地2000余畝で、社会階層は地主16戸、富農1戸、中農1戸、貧農20戸、その他雇農と季節工でした。

 
     【注】 “進士”“擧人”“秀才”は官僚登用試験の合格者の階層別呼び名  
     【出典】『党家村-中国北方の伝統的農村集落-』

                            世界図書出版公司1992, 
     【出典】《韓城村寨与党家村民居》  陜西科学技術出版1999,

   画像1:村の配置図
   画像2:村のメインストリート (中央広場から東に伸びる通り)
   画像3:文化活動室(賈祖祠)の前で談笑する住民 
   画像4:主婦の話を聞く侯暁軍氏 (党家三組33号の中庭にて)
   画像5:上村の広場のブランコで遊ぶ子ども達 

 

  門墩を拓本に採らしていただいた上村党家一組の陽気なおばさんの
家の門口での記念撮影。
  おばさんは中国語の聞き取れない弟にしきりに話しかけて、弟を
困らせていました。

 5月11日から15日の5日間、私と弟で城壁に囲まれた上村約50戸と平地の本村約100戸の家屋の出入口の状況を調査しました。
 近くの西安城内や韓城市に多い獅子型門墩が一体も無いのが不思議でしたが、丸い抱鼓型門墩5組・直方体の箱子型門墩77組・門枕22組が見つかりました。
 内訳は集計表の通りです。

 党家村の門墩の分布状況は“門墩は住人の社会的地位を示す”典型的な事例だと思います。
 即ち“村の解放前の社会階層の構成”と“本村の門墩の分布状況”が一致するのです。
   明清両代“挙人”4人と“進士”1人出る …………………………5組(抱鼓型)
   富裕層18戸(地主16戸,富農1戸,中農1戸) 
              …………… 19組(西安式箱子型門墩14+抱鼓型門墩 5)
   貧農20戸  …………… 23組(一体型獣銜環門墩16+一体型多層門墩7)
   雇農と季節工  …………………… 29組(門枕13+一体型無彫飾門墩16)
 
 中国で出版された調査報告書《韓城村寨与党家村民居》陜西科学技術出版1999,によると党家村の古い民家は全てその家屋の建設年は調査してあるようです。その資料を入手して、上記の私の推測が正しいか調べたいものです。

 各門墩の代表的のものを先ず紹介します。

   画像1:党家四組展室03

   画像2:党家四組展室03の抱鼓型
   画像3:党家一組11号

   画像4:党家一組11号の箱子型
       上の箱と下の台座の繋ぎの部分が窪んでいる西安式箱子型門墩。
       党家村の箱子型は26組全てがこの西安式です。
   画像5:党家三組38号の門

   画像6:党家三組38号の一体型多層
       この門墩は上の箱と下の台座と繋ぎの部分の三層に区分できます。
       繋ぎの部分が無い二層の門墩と繋ぎの部分が二段の四層の門墩も

      あります。
   画像7:党家四組03号北隣の門

   画像8:党家四組03号北隣の一体型獣銜環
       正面に環を銜えた龍の子で邪気を好んで食べる“獣吻”の頭部が彫ら

      れています。
           (注)“獣吻”に就いては「第一部北京市編 第2章模様 

                      第3節 模様の番外 獣吻」をご覧下さい。
   画像9:党家四組65号の門

   画像10:党家四組65号の模様が何も彫られていない門墩
        上記の4種類以外に門墩に何も彫られていないが17組も有りました。
        模様が何も彫られていない門墩は他では見たことが有りません。
        大変珍しい門墩です。

 

党家村の門墩の各型の代表的なものを紹介します。

抱鼓型

   画像1:党家四組 展室03の抱鼓有獅子門墩

   画像2:党家四組 展室03の門墩の拓本(正面と内側と上面)
        党家村では高等文官を輩出し、彼らの北京詣で北京文化がもたらされ

      たようです。
        この門墩はそれを証明するように、田舎の門墩にしては珍しく各種の

           吉祥模様がいたる所に彫られています。この門墩の特徴の1っです。
       太鼓の丸い部分には“麒麟が雲間に浮かぶ太陽を仰ぎ見る図”。その

           下に垂れる錦鋪には“事々如意図”“吉慶平安図”。正面の錦鋪には

           “松樹下仙鹿図”。太鼓の胴の部分には “葡萄図”が彫られています。

           (浅い線彫りで見え難い。)
       特徴の2つ目は、太鼓を支えている鼓座が“四隅に蹲っている獅子”で

           ある事です。
      “四隅に蹲っている獅子”で太鼓を支える抱鼓型門墩は陝西省と山西省

           の特徴です。
       特徴の3は、太鼓の上に獅子が乗っていることです。(抱鼓型有獅子)
       太鼓の上に伏せている獅子は口を大きく開けて来客を威嚇しています。
       特徴の4は、この獅子は来客を威嚇していますが右の後脚で頭を掻い

            ています。大変ユーモラスなものです。

           (獅子の背中の拓本をご覧下さい。)
 
   画像3:党家三組 景点05南隣

   画像4:党家三組 景点05南隣の門

   画像5:党家三組 景点05南隣の抱鼓型有獅子門墩
        太鼓の丸い部分には“鼎と鼎から出る瑞雲”が彫られています。雲型の

             鼓座と箱型の台座はこの地方の抱鼓型門墩の特徴です。

 

   画像6:党家三組13号

   画像7:党家三組13号の門

   画像8:党家三組13号の右側門墩の拓本(内側と正面と太鼓の外側)
          門墩は高さ66cm・巾29cm・奥行57cmです。
        太鼓の内側には“樹木の根元に寝ころび手をかざして空を眺めている

             腹当をした仙人の図”が彫られています。どんな意味を持っているのか

             わかりません。
        太鼓を支える鼓座は蓮葉型で前方二箇所に獅子が潜り込んだ珍しい

            型です。
        鼓座と台座の間には模様の無い無地の錦鋪が敷かれています。
        太鼓の胴には飾り紐が通された鼓環が彫られ、太鼓の外側には虎に

             似た獣が彫られています。

 

   画像9:村の中央広場に置かれている門墩
        太鼓には牡丹に似た豪華な花が彫られていますが、葉は牡丹に似て

             いないので、花が何であるかわかりません。
        堂々とした華やかな門墩です。

 

   画像10:党家二組54号の東隣の門口におかれている門墩
        荒削りで素朴な感じのする門墩です。

西安式箱子型

 箱子型門墩は26組あり、その全てが箱と台座の繋ぎ部分が窪んでいる西安式箱子型です。
 この繋ぎの部分の違いで次の三種類に分類できます。(形状不明の2組を除く。)
   ①繋ぎ部分が直方体で模様が彫られている…………13組
   ②繋ぎ部分が直方体で模様が彫られていない……… 8組
   ③繋ぎ部分が弧型のもの……………………………… 3組
 
 三種類の代表的なものを紹介します。

   画像1:党家四組05号北隣の門
        門の上に“詩書第”と大書されており、文人の邸宅でしょう。

   画像2:党家四組05号北隣の西安式箱子型直絵門墩
        箱の正面には“高官を象徴する帽子飾りを指した花瓶と鼎”(注)

 

      を、箱の側面には“長寿の象徴の仙鶴”を、繋ぎ部分には“万年幸福の

      象徴連続卍模様”を彫った堂々とした門墩です。
        (注)花瓶と鼎はpingとdingと読み“平定”と同じ発音で平穏をしめす

          吉祥模様です。

 

   画像3:党家三組21号の門

   画像4:党家三組21号の西安式箱子型直絵門墩
        箱の正面と側面に“飄帯が結ばれた一冊の書物と二巻の絵巻物”

 

      が彫られ、反対側の門墩の箱には“飄帯が結ばれた古琴と碁盤”が彫ら

      れており、両方で “琴棋書画”となり、教養人の邸宅であることを表してい

      ます。繋ぎ部分にも蓮や花の咲いた樹木が彫られています。
        彫りが浅く表面が平板な彫刻は陝西省や山西省地方の古代からの

      伝統的な彫刻技法です。

 

   画像5:党家四組垂花門楼の門

   画像6:党家四組垂花門楼の西安式箱子型直門墩
        箱の正面には“二輪の花が生けられた花瓶と鼎(=平定)”の吉祥模様

      が、箱の側面には“蹲った怪獣が振返って遠くの山を眺めている”図が彫

      られています。模様の寓意は判りません。
        繋ぎ部分には模様が無いのが特徴です。

 

   画像7:党家三組18号の西安式箱子型弧絵門墩

   画像8: 党家三組18号の門墩の拓本
        箱の側面に“夫婦相愛の象徴の蓮”が彫られ、正面に“左右の手に何

      かを握っている士大夫?が獅子に乗った”図が彫られています。模様の

      寓意は判りません。
        弧型に窪んだ繋ぎ部分には“漢紋に絡まる唐草”が彫られています。

 
   画像9:党家一組19号北隣の西安式箱子型門墩

   画像10:党家一組19号北隣の門墩正面の拓本
        “獲物が沢山入った魚籠を担いで橋を渡り家へ向かう釣り人”の図。
        左側の門墩正面には“柴の束を挿した棒を担いで野辺を家に向かう

       男”の図が彫られています。
        繋ぎ部分の波紋が大変美しい。

箱子型一体門墩

村の箱子型一体門墩を分類すると次の五種類になります。
 四層1組、三層7組、二層4組、獣銜環22組、無彫飾17組。

 

 代表的なものを紹介します。

   画像1:党家五組18号東隣の門

      画像2:党家五組18号東隣の箱子一体型四層門墩
   画像3:党家五組18号東隣の門墩の拓本

         箱の正面には“飄帯が結ばれた絵巻物。高官を象徴する帽子飾りを

       指した花瓶。三段重ねた鼎”の三品が彫られ、側面には“岩場に生えた

       三輪の大きな花”が彫られています。(花の種類はわかりません。)
         箱の下に敷かれた錦鋪には、いちめんに小さい菱形の枠模様があり、

       各枠の中に四花弁の花模様が彫られています。
         下の台座の上段には連続T型模様が彫られています。
         大変華やかな堂々とした門墩です。
         箱型門墩で錦鋪をしいたものは、村の中でこれだけでした。また、

             四層の門墩もこれ一組でした。

 

   画像4:党家二組50号の前の路地
        非常時の退避地だった城壁に囲まれた上村の路地。

                    (東南から西北を見通す。)

   画像5:党家二組50号東隣の箱子一体型二層門墩の正面
        上段には“獅子の銜えた紐の端の玉を子獅子が前脚で押さえて遊ん

       でいる。紐の一方の端の玉は親獅子の頭の後にあり、その玉の側に

       蝙蝠が飛来している”吉祥図が高浮彫されています。
        下段には牡丹の大輪が線彫りされています。
        高浮彫りと線彫りの併用も陝西省と山西省地方の古くからの伝統的彫

      刻技法の一つです。

 

   画像6:党家三組22号の門

   画像7:党家三組22号の箱子一体型獣銜環左側の門墩拓本
        正面の上部に龍の子の一つ“獣吻”(邪気を好んで食べる想像上の

      動物)が環を銜えています。
        側面には何も彫られていない。

 

   画像8:党家四組13号の門

   画像9:党家四組13号の箱子一体型無彫飾左側の門墩拓本
        正面にも側面にも模様は何も彫られていない。鑿の跡が美しい。

 
   画像10:三層の代表として党家五組16号北隣の門墩を紹介します。
        上段の正面には蓮、側面には牡丹、中段には連続卍模様、下段の

      正面には麒麟、側面には花を啄ばむ鳥が浅い平彫りされています。

第2節 党家村 終