第5章 北京郊外

第1節 河底村

 天安門から西へ90kmの山中に北京市門頭溝区齋堂鎮に所属する通称河底村と言う小さい山村があります。ここは明清朝時代北京への交易中継地の一つとして栄えた村で、明清朝時代の四合院が70軒ほど残っています。
 
 99年1月にこの村の調査をしました。時間が不足して全戸調査は出来ませんでした。
 ここで箱子型門墩:2組と門枕石:4組を見つけました。

   画像1:村の四合院 東から西の斜面を見下ろす。

                                                    (画像をクリックして 大きくなりますヨ)

 門墩の一つは箱子型で上に獅子が乗っています。こんな辺鄙な山奥でも獅子は壊されています。
   画像2:西向きの山麓に建つ箱子型有獅子門墩を備えた四合院

      画像3:四合院の門墩を備えた門(撮影:曽 雪)
   画像4:箱子型有獅子門墩の左側(撮影:李雪梅)
   画像5:箱子型有獅子門墩の右側 
 箱の正面は暗八仙の持物・左の内側には牡丹を活けた花瓶、右の内側は蓮を活けた花瓶が彫られています。左の花瓶は四角、右は丸型とバランスが取られています。
 基座の正面は左に“迎”右に“祥”が一字ずつ・内側には“太陽”と“三日月”を吐出している馬が彫られています。天地創造にかかわる神聖な馬らしいのですが、詳しい事は知りません。

 

 もう一つは模様が彫られた箱子型門墩です。
   画像6:箱子型有彫飾門墩をそなえた門

   画像7:箱子型有彫飾門墩をそなえた門
   画像8:箱子型有彫飾門墩の左側

                (高:50.5cm 幅:18.5cm 総奥行:60cm)
 箱の正面は“壽”・内側は縦四行横九段の升目に斜線を彫った市松模様。
 基座の正面は満開の蓮花・内側は上下に葉を付けた茎二本を束ねた模様。
 右側の門墩も同じ模様が彫られています。

 河底村で見つけた四組の門枕石は全て彫飾が施されていました。

 “禧 鴻 ”
 画像1: “禧 鴻”の門枕を備える門

  画像2:左門枕正面“禧”が彫られています。

  画像3:右門枕正面“鴻”が彫られています。

  画像4:右門枕の姿 正面に“鴻”の字が、内側に三本の花を生けた花瓶、上面

     には六角の花の模様が一面に彫られています。
      (右の門枕内側には梅の小枝が三本花瓶に挿され小枝には一匹の小鳥

     が止まった図、上面には六角の花の模様が一面に彫られています。)

 

 “平 安
 画像5: “平 安”の門枕を備える門

 画像6:左正面 “平”と彫られています。
 画像7:右正面“安”の字が彫られています。

 

 “吉祥結
 画像8:左姿 上面に八宝吉祥図の一つ吉祥結が、正面と内側には縦線のみが

    彫られています。

            (右門枕石も全く同じ彫飾です。)

 

線 彫
 画像9:“線 彫”の門枕を備える門

 画像10:左正面 上面、内側にも正面と同じ線彫模様です。
      (右門枕石も全く同じ彫飾です。)

 

 インターネットで調べていると、河底村23号の四合院の門墩として、抱鼓型の写真がありました。
 上に獅子が乗り、正面には獣吻の頭が彫られています。
 鼓座は分厚い布の両端を巻いた型で北京旧城内の蓮の葉型と異なっています。

 北京旧城の西側を北西から南東に流れる永定河は、北京旧城の西の外堀です。
この永定河に架かる盧溝橋を渡った東岸に宛平城があります。北京旧城まで20km、地方から北京に入城する最後の準備をする場所です。

 インターネットにここ宛平城の門墩の写真が出ていましたので紹介します。
 抱鼓型4組、箱子型2組です。

 

第2節 宛平城

 北京旧城の西側を北西から南東に流れる永定河は、北京旧城の西の外堀です。
 この永定河に架かる盧溝橋を渡った東岸に宛平城があります。北京旧城まで20km、地方から北京に入城する最後の準備をする場所です。

 

 インターネットにここ宛平城の門墩の写真が出ていましたので紹介します。
 抱鼓型4組、箱子型2組です。

  画像1:宛平城の東城門
  画像2:興隆寺山門
  画像3:興隆寺の左側門墩 
       北京旧城内の門と相違点が目立つ門墩です。
       相違点の一つは太鼓に獅子の全身像と獣吻の頭が彫られています。

       (北京式では二つが一緒に彫られる例はありません。) 
       その二は錦鋪が太鼓と鼓座の間に敷かれて居ます。(北京式では鼓座

      と須弥座との間に敷かれて居ます。) 
       その三は鼓座が脚を四本立てた型になっています。

                        (北京式では蓮葉型です。)

  画像4:右側門墩
       これも北京式とは相違点が目立ち、西安の門墩と共通点の多い

      門墩です。
       一つは錦鋪が太鼓と鼓座の間に敷かれて居ます。(北京式では鼓座と

      須弥座との間に敷かれて居ます。) 
       その二は鼓座が瑞雲になっています。(北京式では蓮葉型です。)
       その三は門墩の最下壇が短い四本脚の細長い台に作られその上に

      軸座と須弥座が載せられた型になっています。
       太鼓の側面に彫られた模様は、花瓶と鼎が彫られて“平定天下”をあらわ

      す吉祥図です。
      (花瓶=ping=平、鼎=ding=定) これは西安の門墩に一番多い

          模様です。

  画像5:収集品の右側門墩前半分(他所から収集して来た物です。)
       これも北京式とは相違点が目立つ門墩です。
       一つは錦鋪が太鼓と鼓座の間に敷かれて居ます。(北京式では鼓座と

     須弥座との間に敷かれて居ます。) 
       その二は鼓座が陝西省や山西省で見かける四匹の蹲踞した獅子に

          なっています。(北京式では蓮葉型です。)
       その三は基座が簡単な箱に作られています。

                         (北京式は須弥座です。)

  画像6:宛平県衙の門
      この門の門墩は北京式の有獅子門墩です。
      写真なので断言できませんが、元来の物では無く、近年の新作だろうと

     思います。
           
  画像7:箱子型をそなえた門
  画像8:箱子型をそなえた門
       二つの門墩は門の外に出ている部分が上中下の三層から成ってい

      ます。
       下部が四本脚の台で、上部は模様が彫られた箱で、中段はそれらの

      接続部となっています。西安の箱子型門墩にそっくりです。

 【疑問点】
     河底村も宛平城も、国土の広い中国から見ると北京の直ぐ近くなのに
     北京式門墩(=須弥座に錦鋪を被せた豪華な基座を持つ門墩。)に御目
    に掛かれないのはなぜでしょう?

第5章 北京郊外 終

第一部 北京市偏 終