北京旧城内の門墩は大きく分けて①“箱子型”②太鼓の“抱鼓型”③“獅子型”の三種類です。

第1節 箱子型

 最も数が多い“箱子型”は以下の三種類に分けられます。
  ①箱子型無彫飾門墩(箱の表面に模様が彫られていない。)
  ②箱子型有彫飾門墩(箱の表面に模様が彫られている。)
  ③箱子型有獅子門墩(有彫飾の箱の上に獅子が蹲踞している。)
 
 これらの代表的な門墩を紹介します。

    画像1:西城区毯子胡同22号の門
    画像2:西城区毯子胡同22号の箱子型無彫飾門墩
    画像3:東城区報房胡同48号の門
    画像4:東城区報房胡同48号の箱子型有彫飾門墩
    画像5:西城区大六部口街20号の門 
    画像6:西城区大六部口街20号の箱子型有獅子門墩                             (画像をクリックして 大きくなりますヨ)
   

第2節 抱鼓型

 北京旧城内では、丸い太鼓を乗せた“抱鼓型”の殆ど、私の観察では95%以上は次の二種類です。
  ①太鼓の上に獅子が蹲踞している“抱鼓型有獅子門墩”
  ②太鼓の上に龍の子の一つである“獣吻(ショウウエン)”の頭部が彫られている
   “抱鼓型有獣吻頭門墩”
    
これらの代表的な門墩を紹介します。

 画像1:東城区張忠自路3号 段祺瑞執政府跡の門

 画像2:上記門の抱鼓型有獅子門墩

 画像3:西城区西絨綫胡同94号の門

 画像4:上記門の抱鼓型有獅子門墩 

                               (高:75cm 幅:19cm 長:36cm)

 画像5:東城区大甘水井胡同21号の門

 画像6:上記門の抱鼓型有獣吻頭門墩

 画像7:崇文門区好景胡同22号の門

 画像8:上記門の抱鼓型有獣吻頭門墩

  太鼓を乗せている台座が“須弥座”でない非北京式抱鼓型門墩が散見されます。
 非北京式の代表的な門墩を紹介します。

   画像1:宣武区粉房琉璃街31号

   画像2:上記の抱鼓型水中蓮花門墩

   画像3:東城区東四十三条76号の門

   画像4:上記の抱鼓型水中蓮花門墩

   画像5:西城区油漆作胡同26号の門

   画像6:上記の抱鼓型瑞雲門墩

   画像7:崇文区得豊東巷53号の門

   画像8:上記の抱鼓型瑞雲門墩

 

 

 これら非北京式門墩は、明朝の三代皇帝永楽帝が首都を南京から北京に遷都した時、門墩の形で身分を表わす制度を定める以前の古い形式を伝える門墩だと私は推測しています。

 

 “明朝の三代皇帝永楽帝が首都を南京から北京に遷都した時、門墩の形で身分を表わす制度を定めた。”と言うのは私の仮説です。
 これを証明する文献はまだ発見していません。

 

第3節 獅子型

 北京旧城内に“獅子型門墩”は大変少なく38組しかありませんでした。

                                                                    (1999年10月現在)

 現在残っている古い“獅子型”の殆どは文化大革命時の破壊の傷跡が痛々しい。

  画像1:宣武区保安寺7号の門

  画像2:上記門の獅子型

       顔面と両前脚が破壊されています。

  画像3:西城区東絨綫胡同11号の門

  画像4:上記門の獅子型

              頭部と両前脚が破壊されています。

  画像5:西城区大水車胡同31号の門

       顔面と両前脚が破壊されています。

  画像6:上記門の獅子型

  画像7:東城区育芳胡同6号前の獅子型右側

  画像8:東城区育芳胡同6号前の獅子型左側

      左右とも顔面が破壊されています。

    

 北京にあった37組の“獅子型”の内、古いと思もわれる8組以外にも“獅子型門墩”があります。
 獅子が小柄なのが特徴です。現代的な厳しいのと愛くるしいのと二種類あります。

厳しい雰囲気の獅子型

  画像1:西城区鴉儿胡同61号の門

      厳しい表情の獅子型を備えています。

  画像2:西城区西四北六条33号の獅子型

  画像3:宣武区椿樹上二条2号の獅子型

愛くるしい雰囲気の獅子型

  画像1:西城区鮮明胡同4号の門

  画像2:上記門の愛くるしい獅子型

  画像3:崇文区羅家井胡同11号の愛くるしい獅子型

  画像4:民俗博物館展示品(明代)

       顔面は磨耗して表情は見られませんが、寝そべっていて厳しさは

     感じません。

 これらの獅子型門墩は権威の象徴としてより、獅子が持つ家を治め邪気を祓うお守りの機能を期待して据えられたのでしょう。
 また、これらの門墩は政権の統制力が弱まった清朝末期から辛亥革命以降の民国時代に作られたものと思われます。
 北京以外の中国各地の獅子型門墩の大多数は、この愛くるしい獅子です。

 

第4節 門 枕

 現在の北京市は面積が日本の四国ほどもあり、人口も1千数百万人の大都市ですが、清時代の北京城は東西6,650m南北5,350mの城壁に囲まれた内城と1553年に南側に増設された 東西7,950m南北3,100mの外城壁に囲まれた都市でした。
        (図1:清代の北京城。

            北京旧城と言います。)

          出典:「中国建築の歴史」  

               田中淡訳著 平凡社 

    中庭を挟んで四方に家屋が建てられている中華伝統の邸宅-四合院(図2:中型の四合院鳥瞰図)がこの城壁の中に3万戸以上建ち並んでいました。

 門墩はこの四合院の正門と中庭に入る第二門(垂花門とも言う)に設置されているのです。


 では、門墩が6,504組しかなく、残りの2万数千戸の四合院の門はどうなっていたのか?と言う疑問が湧いてきます。

 残りの2万数千戸の四合院の門は門枕(門砧とも言う。)と言う背の低い建築部材を使っているのです。(参照 画像1~3)
 門枕には“有彫飾門枕石”“無彫飾門枕石”“門枕木”の三種類があります。

 

 その代表的な物を紹介しましょう。
 

   画像1:東城区洋溢胡同47号の門
  画像2:上記門の有彫飾門枕石
       北京で最も美しい彫刻のある門枕石です
            (高:24cm 幅:27cm 全長:53cm)

  画像3:無彫飾門枕石 右側  崇文区東利市営胡同19号

  画像4:無彫飾門枕石 左側  崇文区東利市営胡同19号
  画像5:取壊し中の門  西城区南半壁胡同23号北隣

  画像6:上記門の門枕木
           (高:14cm 幅:18cm 全長:46cm)

 

第5節 型と身分のまとめ

 “門墩はその家の主人の社会的地位を表す。”・“門墩は勝手に設置する事は出来ない。”(不能逾制)と中国では言われています。
 でも“どの門墩がどんな地位を表すのか?”は誰も説明してくれません。また、これに関する文献も無いようです。

 

 ここ十数年間、中国各地の門礅状況を調べる中で、私が以前北京の門礅と身分の関係を推測した仮説が正しいのか疑問に感じるようになりました。

  そこで、 身分との関連が深い大門の形態とそこの門礅の型の関係を調査しました。2014年春現在、私が所有する門礅写真で門の形式が推測できる物の分布は以下の通りです。 

                       

 

合計

抱鼓型 

箱子型

 

王府大門

7

 

3

3

 

 

 

 

 

1

広亮大門

66

4

19

19

12

4

5

2

1

 

金柱大門

42

4

15

10

3

3

3

3

 

1

蛮 子 門

109

 

14

26

11

18

26

7

1

6

如 意 門

192

2

12

34

10

50

67

13

 

4

墻垣式門

241

2

10

26

17

47

87

31

2

19

西洋式門

15

 

1

1

2

4

3

1

 

3

合 計

672

12

74

119

55

126

191

57

4

34

 

 この分布状況から判断すると、私が1998年春に建てた“門礅の型と身分の関係”の仮説は正しくないようです。

 “どの門がどんな地位を表すのか?”は引続きの研究テーマです。

 

 

【1998年秋に建てた仮 説 】
 私は北京旧城内の全ての四合院と門墩を見て、門墩の型と数・門墩を備えた四合院の規模と門の大きさや豪華さ・門墩の気品や材質等などを総合的に勘案して、門墩と身分について以下のような仮説をたてました。
    獅 子 型 ……………………………    皇 族
    抱鼓型有獅子 ………………………      武官(上層)
      〃 有獣吻頭 ……………………       武官
    箱子型有彫飾有獅子 ………………      文官(上層)
      〃  有彫飾 ………………………      文 官
      〃  無彫飾 ………………………      大富豪
    門 枕 石 ……………………………     富 豪
    門 枕 木 ……………………………     庶 民

 

第1章 型と身分 終