第3章 門墩の保存①

 門墩は大変美しい石刻藝術品です。
 また彫られた模様は漢字文化の特徴を持ち、更に当時の人々の道徳観、倫理観や美意識を表した民俗藝術品です。 中国独特の建築四合院と不可分ですし、その四合院の町並みが作る独特の胡同の風景とも不可分です。
 まさに明清朝時代の文化を代表する文化財の一つです。

 北京政府は2002年9月《北京歴史文化名城保護規劃》を制定し、その中で北京旧城内の25箇所を保護区に定め保護する事にしました。
  この地区では当然門墩も保存されます。

 上記の保護地区で門墩の多い所を6箇所選んで紹介します。
 下の北京旧城内の地図の赤色の部分です。
 北京に行かれたらこの中の何処かを散策して門墩も鑑賞して下さい。

 

 

 

 

 

 

   (イ)擁和宮・孔子廟・国子監周辺
        画像1:東城区官書院胡同7号 (私が初めて門墩を見た四合院)

   (ロ)后海南西部
        画像2:西城区興華胡同25号

   (ハ)鼓楼南東部
        画像3:東城区后圓恩胡同 (作家茅盾の故居のある胡同)

   (ニ)西四北一~八条・魯迅博物館・白塔寺周辺
        画像4:西城区西四北八条39号前

   (ホ)東四三~八条

   (へ)前門南東部 最も庶民的な雰囲気の地域です。
        画像5:崇文区草廠二条20号 

                                                  (画像をクリックして 大きくなりますヨ) 

 門墩の保存②

 門墩を収集展示しているところを紹介します。
 北京市がやっているのは以下の4箇所です。

 北京古代建築博物館:宣武区東経路21号(先農壇構内)
      画像1:収集品。約50組を収蔵し現在も収集中です。
 北京石刻藝術博物館:海淀区五塔村24号(五塔寺構内)
      画像2:野積みされた箱子型門墩
 首都博物館:東城区国子監(孔子廟構内)
      画像3:立派な獅子型門墩の展示品
 北京民俗博物館:朝陽区(東岳廟構内)
      画像4:明代の獅子型門墩

 

 北京市以外の収集展示

1、北京松堂博物館

    (東城区国子監街3号) 

 李偉氏(病院長:門墩や広範囲な分野の芸術品収集家)は明代の“一門三進士”の由緒有る四合院(地上二階地下一階)を買取られ、彫刻物の博物館として2010年10月に開館されました。
 門墩20余組も展示されています。(門墩は400組を収蔵されているそうです。)

     門墩展 2000年12月 在北京石刻博物館境内

       李偉氏所有の門墩100組を展示公開されました。

         画像1:門墩展の装飾

         画像2:門墩展の右側(抱鼓型が多い)

         画像3:門墩展の中央(獅子型が多い)

         画像4:門墩展の左側(箱子型が多い)

(程さん収集の門墩を自宅庭で拓本に)
(程さん収集の門墩を自宅庭で拓本に)

2、程受琦氏 

  (西城区西四北三条 工芸品愛好家) 
 1990年代に北京が都市改造中に取壊される四合院を見て、門墩約70組を自宅に収蔵されています。
 いずれは関係する博物館に寄贈し、保存される事を希望されています。

3、枕石園 

   海淀区学院路15号

   (北京語言大学構内)

 
 私が収集した26組と13個の門墩が展示されています。
    画像:常設展示場の入口。

中国初の門墩専用展示場《枕石園》を紹介します。

 1996年2月20日 北京の雍和宮から孔子廟を参観して帰りの地下鉄駅への途中、官書院胡同のある四合院の門で丸い美しいものが私の眼に留まりました。 これが私と門墩の生れて初めての出会いでした
 勿論このときは“門墩”という名前も知りませんでした。
 その後北京の市街地に出て行く度に、門の扉の下にあるこの石の事が気になりました。都市開発の工事で古い四合院の取り壊しに伴ない度々ブルドーザーの餌食になっていました。
 この時私は日本が和服を捨てて洋服に切替えた時、あの美しい“根付”が外国人に買い取られ日本から姿を消した事を思い出しました。「中国のこの美しい石の彫刻はいずれ無用の品として中国から姿を消すであろう。今保存しないと手遅れに成る。」と直感しました。
 そこで習いたての幼稚な片言の中国語で門の保存を訴えました。北京古代建築博物館・北京石刻藝術博物館へも行きました。
 しかし「門墩はまだ幾らでも有る。今はそれよりもっと大事な物の保存が先だ。」と誰も取り合ってくれません。
 仕方がないので、何処にどんな門墩があるか所在の調査と写真撮影・採寸をして将来の保存の為の資料作りを始めました。放課後と土日には自転車に乗って《北京胡同詳細図》を片手にカメラを持って、北京旧城内の胡同へ調査記録に行きました。
 しかし、その調査の目の前で門墩がガラクタとして捨てられていく現場を眼にし、たまらず貰い受けてタクシーを呼んで寮に持ち帰ったのが1996年10月4日でした。
 これが収集第一号です。
 その後1998年10月11日までに26組と片方だけのもの13個が集まりました。
 これを留学先の北京語言大学が常時展示するため98年秋の新学期に《枕石園》として開設してくれたのです。

                   枕石園の由来を書いた石碑の拓本
                   枕石園の由来を書いた石碑の拓本

【碑文の大意】
  門墩は神が宇宙を創ったとき空に穴が開き、大雨が降って困った。
  その穴を埋めた余りが地上に落ちて出来た石を、建築の神様魯班が門の鴨

 居と柱と地伏を固める為に用い、それに美しい彫刻をし、姿は端正で技巧を

 凝らした人智の塊だ。
   時を経て去るものは帰らずと忘れられた。

   幸いここに識者が現れ、これらを収集し図案の意味を調べ、その起源を尋

 ね、保護し、門墩は再び輝きだした。  
                         北京工筆重彩画協会副会長 侯長春

                                  【採拓:田中絹子さん】

門墩の保存③

  98年春 留学生活を終了して帰国する事になりました。

    北京語言大学の《門墩写真展》
    北京語言大学の《門墩写真展》

 帰国に当たり、せめて大学内の人々に門墩の価値と保存の必要性を知って欲しいと願い、担当教官にこの希望を述べました。
 なんと大学が一老留学生の希望を認め学内の中央掲示板を提供してくれました。

      歴史博物館での門墩展
      歴史博物館での門墩展

  この写真展を見た日本人の中年留学生から人づてに中国芸術文化普及促進会に話が届きました。
 見に来た普及の幹部から「北京の門墩の写真が北京に残らないのは残念だ。ぜひ写真集を出版し、写真展を大々的にやらして欲しい。」と申し出があり喜んで資料の提供を了解しました。
  
 その年の12月天安門広場にある国立中国歴史博物館で《北京門墩撮影展》開催と《北京門》出版が実現しました。

この展示会を契機に“日本の老留学生が門墩を北京の文物として一人で保存している。”と当時新聞紙上やテレビの画面をにぎや
かし、開発の陰で消滅している民間芸術品、門墩の保存にたいする機運を一気に盛り上げました。
  翌年の夏には中国人民大学で燕都学社主催の写真展と講演会、北京駐在外交官BookClubで公演、北京档案館主催の学術討論会での発表と忙しくなりました。
 マスコミの力の大きさを実感しました。

第3章 門墩の保存 終