第4節 常州市
常州市は鎮江市の7km東南に有ります。隋時代に作られた運河で繋がっています。
春秋時代(AC770年~AC475年)の城跡遺跡が残っており、古くから栄えていたのでしょう。
現在は日本企業の工場も多く進出し開発が進み、明清時代の邸宅は市街地中心部の歴史文化保存区に50軒位残すのみになっていました。ここには北宋時代の有名な大政治家・詩人・書家蘇東坡が左遷先から帝都開封に帰る途中亡くなった屋敷が有ります。
1999年7月2日~7日と2000年9月18日~19日調査に行きました。
托日型:6組 箱子型:7組 板子型:6組が在りました。
托日型門墩
鼓座は全て“こぶ型”です。 (画像をクリックして 大きくなりますヨ)
画像1:延陵西街の小学校正門を飾る門墩
大きな門墩で以前は別の場所に設置されていたのを、ここに保存。
画像2:小学校正門の門墩 (高:125cm 幅:28cm 奥行:140cm)
大きな円には連続卍(好事不断の吉祥模様)の各所に花や七宝が彫ら
れています。
小さい丸には蜂の巣が付いた木の枝と岩の上に二匹の猿が座り、鹿が
居る吉祥模様が彫られています。
画像3:太平天国の時地方拠点となった保王府の第二門
画像4:保王府第二門の門墩
丸い部分には三匹の獅子が繍球を囲む模様が彫られ、小さい丸には後
を仰ぎ見る麒麟が彫られています。
画像5:瞿秋白故居
1935年に36歳で獄死した中国共産党の創設期のリーダーの故居。
近年再建されたのでしょう。
画像6:瞿秋白故居の門墩 (高:104cm 幅:20cm 奥行:98+αcm)
繍球を囲む三匹の獅子が彫られています。
画像7:市立博物館に収蔵された門墩
模様はないが鑿址が整然として美しい。
画像8:保王府に収蔵された二組の托日型門墩
箱子型門墩
西安式:4組 箱子一体型:1組 箱子型低:2組の7組が確認できました。
西安式:4組
画像1:市立博物館になっている清代末期の新禅堂
画像2:新禅堂の右側の門墩
正面には仙人と仙女が、内側には高山の側に太陽を見て飛ぶ二羽の
鳳凰が彫られています。
画像3:馬山埠58号
画像4:馬山埠58号の門墩
正面には岩の上に何か動物が、側面には牡丹の花が彫られています。
画像5:市立博物館の中庭に立てて置かれた右側の門墩
内側には連続卍(好事不断の吉祥模様)彫られています。
画像6:前北岸20号の壁に埋め込まれ保存された門墩
牡丹が彫られています。
箱子一体:1組
画像1:管干貞(清朝乾隆31年1766年進士に合格した政治家)故居
画像2:管干貞故居の門墩
門墩の正面に錦鋪を敷いた台座に座った獅子が彫られています。
箱子低:2組
画像3:郊外の農村鄒家塘10号
小さい箱子型低門墩が在ります。
画像4:石地栿の正面
画像5:石地栿の上面
箱子低型門墩が石地栿と一体に作られています。
前北岸64-B号の中庭に収蔵されていました。
道路拡張の時、屋敷の門を取壊され、その時収蔵されたようです。
常州市ではここでしか見たことない横板子型門墩が6組もありました。
横長の薄い板状の石の内側に門扉の回転軸を支える部分が付いているのです。
画像1:呂思勉故居正門(十子街18号東)
横板子門墩を備えています。
画像2:常州市郊外の農村の邵家塘8号
画像3:邵家塘8号の左側横板子門墩
門墩が門扉の回転軸を受け止めています。
画像4:趙翼(清朝乾隆26年1761年進士に成った大政治家・史学者)故居
道路の拡張工事のため正門は取壊され、屋敷の後部のみが保存され
たと推測します。
屋敷後部の建物の入口だと思います。入ると中庭があります。
画像5:趙翼故居の左側門墩 (高:34cm 幅:61cm 奥行:11cm)
画像6:保王庁に保存されている横板子型門墩
門扉の回転軸を受ける部分が、右側の門墩には手前に、左側の門墩
には奥の方に付いています。
常州市で門墩を持たない一般の家の門の開閉装置を見ましたので紹介します。
画像1:常州市溧陽市載埠鎮新民9号の入口です。
画像2:入口の内側
石地栿の内側に門扉軸受穴が開けられています。
画像3:門扉軸受穴が開けられている石地栿
河南省洛陽市東大街の入口改修工事で同じような石地栿が掘出
されていました。
画像4:常州市溧陽市載埠鎮胡家庁25号の入口内側です
画像5:石地栿と一体の門臼が門扉の回転軸を受け止めています。
画像6:門臼と一体の石地栿
湖北省襄樊市にも同じような石地栿が有りました。
第4章 常州市 終