第1節 洛陽市

 洛陽は“九朝古都”と呼ばれ古い都として有名ですが、当時の建造物は皆無です。
 現市街地の東部に元時代築造の城壁に囲まれた老城区があります。
 この老城区中央を東西に走る中州東路の両側を調査しました。古い民家を残す南側一帯を1997年10月3日に、開発の進んだ北部一帯を2005年10月22日に。

 
 獅子型門墩3組:抱鼓型8組:門枕石16組を確認しました。

 殆どが古い民家が残っている南側にありました。北側にあったのは7組の門枕石だけでした。
 箱子型門墩にまったく出会わなかったのが不思議です。

 

 まず、獅子型門墩を紹介します。
 獅子は徹底的に破壊されて、その姿を想像することも出来ないのが残念です。

   画像1:獅子型門墩をそなえた営林街18号の門 
   画像2:営林街18号の獅子型門墩    (画像をクリックして 大きくなりますヨ)
        彫飾の無い簡素な台座(高:30cm 巾:32cm 長:98cm)の上に、僅かに

      臀部残っているので獅子が上部に蹲踞していたことを偲ばせます。

 

   画像3:呂氏街32号の邸宅前
         これも台座の上に獅子の臀部を残しているだけ。

 

   画像4:成功街24号の邸宅前
        獅子の右脚の四本の爪と臀部の輪郭とおぼしき物が見て取れるので、

      獅子型門墩だったと推測しました。

 

 洛陽老城区では8組の抱鼓型門墩を確認しました。
 門墩として使用されていたのは2組だけでした。其の他の殆どは門の飾りを兼ねて門前に置かれていました。

   画像1:順城西街10号
   画像2:順城西街10号の門墩 (高:60cm 幅28:cm 奥行:74cm)
        いたみは激しいが風格のある正門に設置されている現役の門墩です。 
        洛陽特有の型(彫飾のない簡素な箱型の台座に、台座より幅の狭い

             太鼓が乗っている)の抱鼓型門墩です。太鼓の幅は18cmと台座より

             10cm狭いのです。
        太鼓の中心には六花弁の小さい花が彫られています。

   画像3:貼廓街10号東側の門墩
        太鼓と台座の幅が同じ門墩は洛陽では2組しかない少数派です。
        太鼓には六花弁が彫られています。

   画像4:営林街26号の門墩
        門の前の飾りを兼ねて保存された門墩です。太鼓に“陰陽の太極

             模様”が彫られるのは珍しい例です。
        太鼓の反対側には五花弁が彫られています。

   画像5:中和巷1号の門墩
        画像3と同様、門の前の飾りを兼ねて保存された門墩です。
        太鼓には六花弁が彫られています。

   画像6:丁新街26号前路上に放置された門墩 
              (高:53cm 幅:20cm 奥行:23cm)
        門扉の軸を受ける後部が欠落し、門墩の前部のみが路上に放置され

             ていました。
        台座部分に珍しい模様が、台座の正面に“霊芝を銜えた鹿?”が彫ら

             れています。

   画像7:東大街西の“崇禧福寓”前の門墩 

                                         (高:75cm 幅:32.5cm 全長:106.5cm)
        東大街西通りの改築中の家屋の前に置かれた門墩です。
        改築中の家屋の前には“門扉の回転軸受け穴が付いた地伏石”

             が掘り起こされていました。
        【後日談】
        2010年3月27日午後訪れた。門墩が同じ様に在ったので拓本を

             採らしてもらった。
        持主は古美術商の老店主。「何処に在った門のですか?」「明朝の

             福王府の門墩だよ!……。………。……」と熱心に説明して下さった。

             私には聴き取れません。
        帰国後調べると“福王は明朝萬暦期の第三皇太子で洛陽を治めてい

               た。李自成が明朝への反乱で殺し明朝の西部支配権を奪った。

               ”歴史上超有名皇族!!
        老店主の説明に間違いがなければ拓本の価値は????十萬円!

 

 洛陽老城区の門枕石は16組確認しました。
 門が改造され、不要になって路上に放置されていたのが半数でした。
 木製の門枕木を一組も見かけなかったのは不思議です。

   画像1:中和巷3号
   画像2:中和巷3号の門枕
         正面に花弁が彫られてます
   画像3:連市胡同3号
   画像4:連市胡同3号の門枕
        正面に二重花弁が彫られています。
        彫られた模様は花弁模様が殆どでした。

   画像5:成功街5号
        抽象的な模様もありました。

   画像6:成功街21号
        文字も彫られていました。

   画像7:丁新街5号前(高:19cm 幅18cm 長:30cm)
        吉祥模様とされる亞型模様のみが彫られているのが数組ありました。

   画像8;大衆街50号
        まったく彫飾のない門枕もあります。 

 

 洛陽老城区以外で確認した門墩を紹介します。

洛陽老城区の約10km南に三国志の英雄関羽の首を祀った関林廟があります。
   画像1:総門

        明代に建築された総門

   画像2:総門の門枕石

   画像3:総門を入った次の第二門
        この門は明代に関林廟の大門として建てられ、その後清代に儀門と

       改称されたものです。
   画像4:第二門の抱鼓型門墩 (高:84cm 幅:29cm)

        洛陽老城区順城西街10号の邸宅の門墩と似た質素だが堂々とした

             門墩です。
        郊外の“古唐寺”のものとも良く似ています。

 

 洛陽郊外唐寺門村
   画像5:古唐寺の門の抱鼓型門墩
       (毎日グラフ別冊 昭和59年 「空海 長安への道」に掲載)
   

 洛陽老城区東の周公廟内門墩
   画像6:周公廟境内に収蔵されている抱鼓型門墩 (撮影:柳井直躬氏)

 

 龍門石窟の対岸に有名な漢詩人白居易の墓があります。
   画像7:白居易墓地の門に門枕が設置されて居ます。 (撮影:柳井直躬氏)

 

第1節 洛陽市 終