第9章 上海市
上海市は2000万人が住み中国の一大工業基地・外国貿易港で世界有数の大都市です。
しかし、中国の歴史から見ると長い間、長江河口の小さい小さい漁村でした。明代にようやく綿紡績が興され少し発展し、南北1.8km東西1.5kmの卵形の城壁に囲まれた街ができたのです。
1840年に起きたアヘン戦争の処理として結ばれた英中条約で開港した五港の一つとして外国の租界地が出来たのが現在の発展の始まりです。
そんな事で明清代の高級官僚や大商人にしか設置が許されなかった門墩は無い、有っても大変少ないと思って調査しませんでした。
現在確認している門墩は14組です。
獅子型1組 托日型5組 蓮葉型4組 箱子型4組
徐光啓記念館の托日型門墩 (画像をクリックして 大きくなりますヨ)
2005年に上海に現存する古民居の保存を兼ねて、明代の進士で科学者
の徐光啓(1562~1633)の記念館にした所です。
画像1:記念館の第二門 (撮影:森田茂夫氏)
画像2:第二門の右側托日型門墩
画像3:第二門の左側托日型門墩 (撮影:森田茂夫氏)
龍華寺の托日型門墩
1700年の歴史を持つ古刹で、現在の建物は清光緒十八年1883年建設。
この山門に托日型門墩が見えます。
画像4:山門 (案内図では弥勒殿)
画像5:山門の托日型門墩
画像6:山門の右側門墩(門扉は門臼で受止めれてます。正式の門墩では
はなく、門飾として設置さらてます。)
古美術商源宝楼の入口前に展示されてる托日型門礅
画像7:かなり古い門礅でしょう。
高:106cm 幅:26cm
玉仏寺の蓮花型門墩
1882年に創建された禅寺で、1918年に現地に移設されました。
画像8:この山門に蓮花型が三組設置されています。
画像9:山門中央門の右側蓮花型門墩 (撮影:小樋さん)
画像10:山門の内側。内側に門墩の軸受がありません。龍華寺と
同じく門飾として設置されています。
黄炎培故居の箱子型門墩
黄炎培(1878年~1965年)は清末期に科挙を受け、挙人になり辛亥革
命後政治・教育に尽くした人です。
画像11:四合院の箱子型門墩
(《上海経典歴史建築游》 中国旅游出版社)
2010年 森田茂夫氏が上海中心街から17km東北で長江の南岸浦東新区高橋古鎮で七組の門墩を見つけられ写真を送って下さいました。
「上海は塩の生産が盛んだった。」そうです。その関係者の物ではないでしょうか?
画像1:高橋古鎮西街の民家 (撮影:森田茂夫氏)
画像2:西街の民家の獅子型門墩 (撮影:森田茂夫氏)
画像3:高橋古鎮東街の清渓茶館 (撮影:森田茂夫氏)
画像4:清渓茶館の蓮花型門墩 (撮影:森田茂夫氏)
画像5:托日型門墩を備えた高橋古鎮西街の陳列館 (撮影:森田茂夫氏)
画像6:高橋古鎮西街の民家の西安式箱子型門墩 (撮影:森田茂夫氏)
高橋古鎮東街区の仰賢堂
大商人鐘氏が1918年に建てた邸宅が高橋歴史文化資料館として保存されて
います。
その境内に収蔵された門墩が三組有ります。
画像7:仰賢堂への経路に飾られた門墩 (撮影:森田茂夫氏)
手前の箱子型 二匹の鳥が樹の下の鹿と向かい合った風景が彫られて
い ます。
中間の托日型 六花弁の蓮花模様が彫られています。
奥の箱子型 古銭を繋いだ縄で遊ぶ女の子と金蟾(ひき蛙)彫られて
います。
裕福で子沢山を表す“劉海戯金蟾”と言う吉祥図です。
上海中心街の住居は門扉の回転軸を“下の地栿石”と“上の冠木石”に差込んだ“石庫門”です。
門墩や門枕は使用しない建築なのです。
石庫門を紹介します。出典:《上海経典歴史建築游》 中国旅游出版社
画像1:中国共産党第一次全国代表大会跡記念館
画像2:毛沢東故居
画像3:中国社会主義青年団中央機関旧跡記念館
2017年10月17日~23日“中国道教に親しむ旅”に参加しました。
この時門墩の調査に関し一つの発見をしました。
画像1:上海市白雲観の門楼中央門
画像2:上海市白雲観の門楼左脇門
画像3:上海市白雲観の門楼左脇門の内側
「この門には門墩は無いですね。」と言いますと、「昔は有りました。文革で壊され観を再建した時資金不足で門墩は設置できなかったのですよ。」観の案内人が言われました。
画像4:上海城隍廟山門 (撮影:奈良行博氏)
「大変広い立派な城隍廟ですが門墩が無いのは残念ですね。」と言いますと、「私が小さい子供の時、ここの大きな丸い門礅に登って遊んだんですよ。門の向こうには立派な影壁も…」60歳代?のガイドさんが残念そうに話されました。
20年近く中国各地の門墩を撮影した私は、門墩の調査には文革以前の写真収集の必要性にはじめて気付きました。
第9章 上海市 終