第2節 揚州市

 揚州は紀元前の春秋時代呉の国の時代から栄えていました。また中華南北物流ルートの京杭運河沿いの都市としても栄え、日本からの遣唐使の多くも揚州を通って長安に行っています。空海も804年にここを訪れております。有名な鑑真和尚の故郷でもあります。

 2006年2月28日と2009年8月28日~9月1日楊州市を調査しました。09年には張柏樹氏(ガイド兼通訳)と二人で調査し南北2km×東西1.5kmの旧城内は殆ど見て廻りました。南西部のほんの一部を除いて。
 
 獅子型:2組 丸型:28組 箱子型:8組 板子型:49組 合計87組の門墩が確認できました。

 

獅子型

 獅子型門墩は沢山あるかと思いましたが二組だけでした。

   画像1:普哈丁墓園の第二門     (画像をクリックして 大きくなりますヨ)
        回教の布教の為に南宋時代1275年に揚州に来たマホメッドの16代目

            の子孫プハティン(普哈丁)の墓園
   画像2:普哈丁墓園第二門の門墩
        台座の中に一匹の獣が蹲っているのが珍しいです。

 

   画像3:“痩西湖”内の右側門墩(撮影:柳井直躬氏)
   画像4:“痩西湖”内の左側門墩(撮影:柳井直躬氏)

 

   画像5:民家の壁の中に保存されている獅子
        崇徳巷12号の民家の門の側の壁の中に獅子がありました。
        この家に以前設置されていた獅子型門墩だったと思います。

 

 丸型門墩は28組在りました。
  “扉の回転軸を受ける”本来の機能をはたしていたのは16組でした。
 他の12組は保存されたり、古美術商の商品にされたり、門の飾りとして置かれたりしていました。
 
 まず丸型の中で揚州市では特異な2個の門墩を紹介します。 

   画像1:呉道台宅第
        清末期光緒年間に進士に合格し高官になった呉引孫と呉筠孫の立派

      な故居“呉道台宅第”が全国重点文物として保存されています。
   画像2:呉道台宅第の第二門の門墩
   画像3:右側の門墩

        この門墩の丸い部分は薄く、鼓釘は打たれてなく太鼓では有りません。
        私は太陽だと思います。太陽と台座を繋ぐ部分も浪か雲と見ます。
        この門墩は雲間から顔を出す太陽又は大海から昇る朝日をかたどっ

       ていると思います。
        江蘇省は東海から日が昇る長江の河口近くです。まさに“紫気東来”

       吉祥を象徴する門墩です。
         私はこの太陽を支えた門墩を“托日型門墩”と命名し、太鼓を抱えた

        “抱鼓型門墩”とは区別しています。

 

   画像4:近代的な牌楼      
        国慶路の西側を整備した広場に設置された近代的な牌楼の下に

      門墩が置かれています。
   画像5:牌楼の柱元に置かれた抱鼓型門墩

        この門墩の丸い部分は太鼓です。

        来客を知らす・武官を示すなどの太鼓を乗せた抱鼓型で黄河流域に

       多い門墩です。

 

 楊州市に在った28組の丸型門墩で純粋な太陽と太鼓を置いた門墩はこの二つだけでした。その他の26組は太陽と太鼓の中間の型をしています。

  純粋托日型門墩
  純粋托日型門墩

 私はこの太陽と太鼓の中間の丸型門墩も“托日型門墩”と分類します。
 理由は“ 丸い部分は本来太陽なので全体の型は雲又は水面から昇る形をし、円周部分には何も彫られていない。特に鼓釘は無い。”
 即ち長江河口地域の純粋な托日型と黄河流域の抱鼓型とが合体した出来たのがこの門墩なのです。
 従ってこの門墩は長江下流地域(安徽省・江西省・湖北省・湖南省)と東海地域(浙江省・江蘇省)に分布しています。

 

   【抱鼓型と托日型の形の相違点】

 

托日型は:

 丸い部分が前にせり出している。
 円の胴体に鼓釘と太鼓皮線が無い
 円の胴体には何も彫られてい無い。

 

抱鼓型は:

 丸い部分が門墩の中央に位置。
 円の胴体に鼓釘と皮線が彫られてる。
 獅子や獣吻頭や草花等が彫られている物が多い。

 

 さて、門墩の上の丸い部分と下の台座を繋ぐ中間部分、ここを鼓座と言います。
 揚州市の鼓座は皿立て型:16組 こぶ型:4組 その他型:2組 型不明:4組でした。

 鼓座の型の違いが何を意味するのかは判りません。 
 

 

 鼓座が“皿立て型”門墩で代表的なのを紹介します。

   画像1:普哈丁墓園の正門

   画像2:普哈丁墓園正門の門墩

        門墩の内側に“繍球に群れ遊ぶ三匹の獅子”が、外側には“二重の

      六花弁の花”が彫られています。

        “繍球に群れ遊ぶ三匹の獅子”は多くの門墩に彫られていました。

   画像3:何園の正門 (撮影:張柏樹氏)

   画像4:何園正門の門墩 (撮影:張柏樹氏)

        “六花弁の花”が彫られています。

   画像5:山陝会館

   画像6:山陝会館の門墩

        “繍球に群れ遊ぶ二匹の獅子”が彫られています。

   画像7:武当行宮(撮影:張柏樹氏)

   画像8:武当行宮の門墩(撮影:張柏樹氏)
        振返って空を仰ぐ麒麟が彫られています。
        他には動物では“鹿と蝙蝠”“木に止まった鳥を見上げる獣”が彫られ

      ていました。

   画像9:瓊花園の西門

   画像10:瓊花園西門の門墩

   画像11:瓊花観の正門

   画像12:瓊花観正門の門墩

        太極模様が彫られています。

 

 鼓座が“こぶ型”門墩を紹介します。

   画像1:大明寺内に保存されている門墩右側 (撮影:山本逸美さん)

   画像2:門墩左側 (撮影:山本逸美さん)

   画像3:隋煬帝廟の門楼 (撮影:柳井直躬氏)

        この門は近年建設されたと思います。

        この 門楼の中央と両脇の門に門墩が設置されています。

   画像4:隋煬帝廟の門墩 (撮影:柳井直躬氏)

 

 鼓座が“その他の型”門墩を紹介します。

   画像1:史公祠の正門

        明末期の進士で清朝に対抗した英雄史可法の祠

   画像2:史公祠の門墩(撮影:柳井直躬氏)
        大変珍しい素材の石が使用されています。

   画像3:興善寺 居士巷11号 (撮影:張柏樹氏)

   画像4:興善寺の門に置かれた門飾

        近年作られたようです。

 壊され原型は判らないが、住民が丸い型だったと言う所が3箇所ありました。

   画像1:流水橋31号のある通り

        流水橋31号は右二軒目です。

   画像2:流水橋31号の門墩

        門墩の上部が壊されていますが、主人は托日型だったと言われました。

   画像3:崇徳西巷34号

      画像4:崇徳西巷34号の左側門扉

        取壊された門墩の跡がセメントが四角に付けられています。

        主人は托日型だったと言われました。

   画像5:八咏園の正門 大硫芳巷29号

        ここも門墩が壊されていますが、主人は托日型だったと言われました。 

 国慶路西側の商業地区に建造中の商店に抱鼓型門墩によく似たものが飾られていました。
 これが門扉を支えていた門墩だったのかどうかは判りません。

 麒麟が彫られた太鼓の上に錦鋪を敷いた四脚の台を載せその上に獅子が蹲っている豪華なものです。

   画像1:右側
   画像2:左側

 

 遊戯をしている二人の人物を彫った太鼓の上に獅子が逆立ちをしている豪華なものです。 

   画像3:右側
   画像4:左側(高さ:125cm)

 

 錦鋪を敷いた台の上に二人の人物を彫った太鼓が置かれ、その上に獅子が逆立ちしたこれも豪華なものです。 

   画像5:左側

 

 箱子型の門墩は8組有りました。

   画像1:富春巷21号の門(撮影:張柏樹氏)
   画像2:富春巷21号の箱子型(撮影:張柏樹氏)
        正面には飛ぶ燕?が彫られ、内側に模様は彫られていません。
        門扉を支える門墩として使用されているのはこの1組だけでした。 

   画像3:梅花書院 広陵路248号

        清朝同治五年(1866年)の建設です。

        門扉は改修されています。

   画像4:梅花書院の門墩

        五匹の蝙蝠が彫られた吉祥模様の豪華な門墩です。

 

   画像5:大草巷21号
        正面に鹿、内側に鯉が龍に変身する吉祥模様が彫られています。

        門が改造され傍に移設された門墩です。

   画像6:安楽巷38号
        正面には岩場に立った鶴?が、内側には麒麟が彫られています。

        門が改造され傍に置かれた門墩です。

   画像7:肖家井2-138号

        門が改造され傍に置かれた門墩です。

   画像8:崇徳巷12号

        正面に鶴が彫られています。

        門が改修され前に保存された門墩です。

   画像9:国慶路の商店街
        正面と内側に蓮の花と蕾と葉が彫られています。

         保存のために商店街の中に展示された豪華な門墩です。

   画像10:揚州古玩城内の商品にされた門墩です。

 

 縦板子型門墩

 揚州市には幅が15cm位しかない薄くて扁平な門墩が在ります。私は板子型と呼んでいます。
 他の地方では殆ど見かけません。
 揚州市特有の門墩です。49組も見かけました。

   画像1:東圏門18号の門(江沢民氏の家)
   画像2:東圏門18号の板子型(高さ:90cm 幅14cm 奥行44cm)
        中心に壽の字を円形に彫り、その上に銅銭を吊るした紐を銜えた蝙蝠

            が、下に霊芝を銜えた雌鹿が彫られています。
   画像3:天主堂:北河下25号
   画像4:天主堂の板子型(高さ:90cm 幅14cm 奥行44cm)
        吉祥模様が彫られているのでしょうが私には意味は判りません。
        正面には連続唐草模様が彫られています。  

   画像5:東関門30号
       中央に六花弁の花を彫り、周りに“漢紋”が彫られています。
   画像6:汪氏小苑 地官第14号(清末期の塩商人汪伯屏の邸宅) 

        貴人用の鞍をした馬を繋いだ屋敷の門口に三羽の鳳凰が集う目出度

       い図です。    (撮影:張柏樹氏) 

   画像7:小井巷8号(撮影:張柏樹氏)
        “梅に鶯”来春の吉祥図の周りに漢紋が彫られています。
   画像8:螺絲結頂10号
        良い事が不断に続く事をあらわす“連続卍”の吉祥模様に各種の花が

      彫られています。
   画像9:華氏園 闘鶏場巷4号(塩商人華友梅の邸宅)(撮影:張柏樹氏)
       象が花瓶を背に乗せた“天下泰平”の吉祥図です。

   画像10:文化里19-2号(撮影:張柏樹氏)
        台座には彫刻がありますが、上の板の部分部には彫刻が無い。
   画像11:揚州古玩城内の商品 (撮影:張柏樹氏)

         蝙蝠と鹿が見合っている所に銅銭が彫られています。
   画像12:揚州古玩城内の商品 (撮影:張柏樹氏)

         牡丹の横に鳳凰が彫られた門?と漢紋が彫られた門墩。
   画像13:揚州古玩城内の商品 (撮影:張柏樹氏)

         漢紋が彫られた門墩の横に錦鋪を掛けた模様を彫られた門墩が並ん

       でいます。  
   画像14:普哈丁墓園境内に収蔵された門墩

        漢紋が彫られています。
   画像15:天寧寺の中の古美術商 (撮影:島村志げりさん)

        連続卍が彫られた門墩に植木鉢が置かれていました。
           

 門墩の上部が破壊された邸宅が52軒も在りました。

 楊州市は文化革命活動が盛んだったのでしょう。 

   画像1:金粟山房の門(羊巷23号)
        門墩の基礎部分を残すだけで抱鼓型だったのか板子型だったのか

            推測も不可能です。

        建築に許可が必要な八字門楼ですので立派な門墩だったはずです。 
       (陳家の概要:清朝末期に親子二代が高官採用試験の科挙を上位合格

            した名家)
   画像2:安楽巷10号
        門墩が壊された部分をセメントで補修してあります。

        同じ並びの1号8号の二軒の門墩が壊されていました。  

   画像3:花井南巷6号
        同じ並びの8号12号14号16号の五軒の門墩が壊されていました。  
   画像4:石牌楼16号(撮影:張柏樹氏)
         この通りも5号7号と三軒の門墩が壊されていました。

      画像5:石牌楼16号の門墩 (撮影:張柏樹氏)

        台座の彫刻は綺麗です。

   画像6:蔚園 風箱巷6号 (撮影:張柏樹氏)

        民国初期に有名な造園家が建てた住居

   画像7:台座の彫刻が素晴らしい。 (撮影:張柏樹氏)

   画像8:皮市街105号 (撮影:張柏樹氏) 
        壊される以前は抱鼓型?板子型?

   画像9:弥陀巷29号

        清代詩人作家の家。以前は抱鼓型?板子型? 

 

第2節 楊州市 終