第9節 皖南地方の門罩
『門墩はその家の社会的地位を表す』との言葉につられ中国各地の門墩の状況を調べています。
皖南地方は明清代には経済力もあり高級官僚採用試験“科挙”の合格者など身分の高い人が多かったにもかかわらず門墩を備えた邸宅が殆ど無いのは不思議です。
皖南地方の門の写真を整理していて1つ思い当たりました。
門の上部に雨を避ける庇があり、その庇の下の建造物を“門罩(menzhao)”と言います。
この門罩に牌坊型門罩 ・垂花型門罩 ・台座型門罩 ・単純門罩の四つの型があります。
皖南地方ではこの『門罩が家の社会的地位を表す』のではないかと思うのです。
ついては門罩を写真で説明します。
“牌坊”は朝廷が功績
の特別高いを顕彰する
為にその人の郷里に
建設する石製の大きな
記念物です。
画像:西逓村の入口に立つ胡文光氏を
顕彰する四柱三間五庇の牌坊
牌坊型門罩
この牌坊を出入口に貼り付けた様な型をした門罩が有ります。
私はこれを牌坊型門罩と命名しました。
牌坊型門罩には四柱三間五庇 ・ 四柱三間三庇 ・ 二柱一間三庇 ・ 二柱一間一庇が有ります。豪華さが違います。
画像1:宏村の務本堂 (画像をクリックして 大きくなりますヨ)
四柱三間五庇の門罩
画像2:江西省景徳鎮の玉華堂
四柱三間三庇の門罩
画像3:呈坎鎮の鐘英街角の屋敷
二柱一間三庇の門罩
画像4:棠樾村の从心堂
二柱一間三庇の門罩
牌坊型門罩でお上の許可が要る“八字門楼”にした豪華な邸宅があります。
画像1:西逓膺福堂
正三品の宦官胡貫尚?の故居 清康熙年間(1662~1722年)建築
画像2:西逓村の枕石小築
清道光年間(1821~1850年)建築
画像3:西逓村の西園
四品の胡文照の故居 清道光四年(1824年)建築
画像4:宏村の承志堂
塩商人汪貴定の故居 清咸豊五年(1855年)建築
画像5:宏村の樹人堂
清代勅授奉政大夫汪星聚の故居 清同治元年(1869年)建設
伝統的邸宅“四合院”の
第二門は“垂花門”と呼ば
れるものが多いです。
垂花門と言われるのは門
の軒から下がった柱の先に
花が垂れ下っているように
見えるからです。
画像:北京の垂花門
垂花型門罩
垂花門を正面から見たようなデザインの門罩を“垂花型門罩”と命名しました。
画像1:西逓村の大邸宅
画像2:宏村の敬修堂
清道光年間(1821~1850年)建設
画像3:宏村の徳義堂
画像4:棠樾村の从心堂
台座型門罩
門罩の下の両端に箱の猫脚が付けられたのを“台座型門罩”と命名しました。
写真の赤丸が箱の猫脚です。
画像1:西逓村の瑞玉庭
清咸豊年間(1851~61年)建設
画像2:南屏村の抱一書屋
清光緒年間(1875~1908年)建設
画像3:屯渓区の戴震記念館
清朝『四庫全書』の纂修を行い特別に進士に昇格した大学者の記念館
画像4:宏村の承徳堂
清康熙1720年建築
画像5:西逓村の中央街の邸宅
単純門罩
門罩が簡単なものを“単純門罩”と命名しました。
画像1:宏村の碧園
明朝末に建設し、清朝の1835年に再建。
画像2:西逓村の大夫第
清朝康熙三十年(1691年)建築の四品官胡文照の故居
画像3:潜口民居展示場内の方泰文氏の邸宅
明朝(1368~1644年)後期建築
画像4:潜口民居展示場内の徳慶堂
明朝(1368~1644年)中期建築
画像5:呈坎鎮の羅純夫氏の邸宅
長江河口地域には八字門楼・牌坊型門罩・垂花型門罩・台座型門罩・単純門罩などの邸宅があり、この門の豪華さの差が皖南地方の身分の差を表しているのだと思います。
しかし、どの型の門がどんな身分を表しているのかは私には判りません。
第9節 皖南地方の門罩 終
第7章 安 徽 省 終