第3節 西逓村 

 西逓村は宏村から11km南で、ここには明清時代の古建築が224軒も有り、その内124軒が現在も古い状況を良く留めています。
 村は宏村と共に“明清民居博物館“と言われています。

 唐朝の昭宗皇帝の子孫胡氏が最初に住み着き農業をはじめ、明代中期に村から出て商業を始め成功する人が出て村が豊かに発展しました。
 村が豊かになると勉学に励む人も出て官僚試験“科挙”に上位合格し上級官僚も出る村に成りました。
 こうした上級官僚の中で大変業績があった高官を顕彰する石坊が村の入口に立っています。
   画像:胡文光氏を顕彰する石坊(明朝の万歴六年1578年建設) 

   画像1:観光案内図                     (画像をクリックして 大きくなりますヨ)

 

 裕福で有力者を出した一族の村ですから先祖を祭る祠堂は最盛期には三十余軒ありましたが、現在は数軒しか残っていません。
 最も素晴らしいのが次の二軒です。
   画像2:胡仕享公を祀った“敬愛堂”
        明朝萬歴二十八年1600年に創建。
        現在のものは清朝の乾隆年間に再建
   画像3:胡一族の或る分家を祀った“追慕堂”
        清朝乾隆末期1794年に建設。
        私が行った時は修繕中のため前に柵が有りました。
   画像4:追慕堂の托日型門墩

 

 西逓村は裕福で明朝や清朝の高官も輩出し、古い民家を多く残していますが、門墩は胡氏一族を祀った“追慕堂”の托日型門墩1組だけです。
 ではこの村には身分の高い人は居なかったのか?と言うとそうではないようです。
 中国の官僚の位は九品から一品までありました。官僚は下位から就任し、その後の評価で最高位一品を目指して頑張るのです。

 建物の説明看板や観光案内書等で住人の身分が分かる邸宅が五軒ありました。

   画像1:膺福堂の八字門楼 
        清朝の正三品官吏である胡尚矰氏の邸宅

   画像2:西 園の八字門楼
        清朝の三品官吏である胡文照氏の子孫の邸宅

        道光四年1824年建築 

   画像3:篤慶堂 
        清朝の三品官吏である人が建てた邸宅

               康熙四十三年1704年建築 

   画像4:東 園 
        清朝の三品官吏である胡文照氏の親類が建てた邸宅

        雍正初年1724年建築 

   画像5:大夫第
         清朝の四品官吏に就任した胡文照氏が1691年に建てた邸宅

 

 これら五軒は他の地域なら門墩を備えていると思うのですが、西逓村では門墩無しです。
 ここでも住人の身分は門墩でなく邸宅の広さや門楼の構造で表しているようです。

 この地方の邸宅の門扉も二枚で、内側への観音開きです。
 この門扉の下側の回転軸は門の敷居に当たる地栿と一体の門枕の穴に差し込まれています。
 写真の門枕部分には四角い穴が開けられていますが、ここに門扉の軸を受ける丸い穴を開けた鉄板が入れられていたのです。

 

    画像:門枕付きの地栿  (高:20cm 長さ:110cm 奥行42cm)

第3節 西逓村 終