第4章 湖北省
湖北省は中国の西部の高地が長江の流れに従って平地に変わるところに位置しています。
湖北省の位置(桃色で囲まれた所)
湖北省は三国志関係地を2004年と06年に観光旅行で訪れただけで住居地の門墩は殆ど観察できていません。
したがって名所旧跡で見た門墩事情の報告になります。
湖北省で獅子型2組:抱鼓型21組:箱子型12組:門枕4組を見ました。
1、獅子型
獅子型門墩は今まで各地に沢山有りましたが、湖北省では2組しか見かけませんでした。
保存されたものなので、現在門に使用されている物ではありません。
北宋時代の大画家米芾を祀った米公祠(襄樊市)の仰高堂の階段を飾っている獅子型 (画像をクリックして 大きくなりますヨ)
画像1:階段左側に置かれた門墩
画像2:階段右側に置かれた門墩
軍師諸葛孔明が劉備から三度訪問された三顧の礼で有名な古隆中(襄樊市)に近い南漳文物管理所に保管されている獅子型(右側の門墩だけ。左側の門墩は見当たりませんでした。)
画像3:通路側から見た門墩 (高:62cm)
画像4:外側から見た門墩
鼻と上顎は取り壊されています。
省都武漢市の長江下流鄂州市の寺の門に飾りとして象が置かれていました。
画像5:西山古霊泉寺の積翠門の象
これが門扉を支えていた門墩であったかどうかは分かりません。
2、抱鼓型
湖北省で見た21組の抱鼓型には黄河流域や長江上流域には無い三つの特徴が有りました。
特徴の一つは“丸い部分が基座より前に出ている”事です。
他の地域では基座の中央に太鼓が置かれています。
私はこの丸い部分が基座から前にせり出している門墩を托日型門墩と命名しました。
長江河口地方で発生した“大海から昇る太陽をかたどった門墩”(托日型)が原型だと看ているからです。
北京の抱鼓型
画像1:西城区北草廠胡同12号
西安の抱鼓型
画像2:大学習巷66号
湖北省の托日型
画像3:宣昌市玉泉寺 (高:112cm)
画像4:襄樊市南漳県水鏡荘の門墩
画像5:武漢市晴川閣第二門
(高:111cm 幅:22cm 基座奥行:40cm)
特徴二つ目は“太鼓の胴に模様が彫られていない”事です。
他の地域では太鼓の胴に“獅子”や龍の子の“獣吻の頭”や“宝相華”など多くの模様が彫られています。
天津郊外の抱鼓
画像1:石家大院垂花門の門墩
太鼓の胴に親子九匹の獅子がいます。
陝西省党家村の抱鼓
画像2:景点05南隣の門墩
太鼓の胴に龍の子獣吻の頭部が彫られています。
湖北省の太鼓の胴に“鼓釘以外は模様が彫られていない抱鼓”
画像3:襄樊市襄陽区 鹿門寺
画像4:曹操に追われ劉備が苦戦した長坂坡の公園に保存されている門墩
(高:100cm 幅:18cm 全長:90cm)
画像5:米公祠収集品
この“丸い部分が基座より前に出ている”と“太鼓の胴に模様が彫られていない”特徴をもった門墩は例示以外にも6組有りました。
画像1:襄樊市北街 土地儲備供応中心(1990年頃建設)
画像2:土地儲備供応中心の門墩
画像3:襄樊市古隆中 三顧堂
画像4:襄樊市三顧堂の門墩
画像5:襄樊市米公廟東苑入口の門飾
画像6:襄樊市米公廟の収蔵門墩
画像7:荊州市関帝廟
画像8:関帝廟の門墩 (高:130cm 幅:25cm)
画像9:武漢鄂州市 西山積翠入口の門飾
特徴の三つ目は太鼓の皮を胴に打ち付ける“鼓釘が無い”ものが2種類4組あることです。
画像1:武漢市の帰元寺外山門
画像2:帰元寺外山門右脇門の托日型門墩
左脇門と中央門にも同じ門墩が有ります。
画像3:鄂州市武昌大街118号の光栄院
画像4:光栄院の托日型門墩
中国では門墩のことを“抱鼓石”とも言います。門墩の丸い部分は“太鼓”が一般的なのです。
従って丸い部分には“太鼓の皮を表す線”と皮を打ちつける“鼓釘”があるのが普通です。
ところが上の四組にはこの“太鼓の皮を表す線”と“鼓釘”が有りません。
長江を下れば下るほどこの“太鼓の皮を表す線”と“鼓釘”の無い門墩が多くなります。
次の5組の抱鼓型には陰邪を好んで食べる獣吻の頭が彫られています。
画像1:襄樊市米公祠宝晋斎(撮影:北原直樹氏)
画像2:宝晋斎の門墩(撮影:北原直樹氏)
画像3:襄樊市古隆中の武侯祠(撮影:北原直樹氏)
画像4:武侯祠の門墩(撮影:北原直樹氏)
画像5:湖北省西南部の恩施市の寺の山門(撮影:小島幸雄氏)
画像6:恩施市の山門の門墩(撮影:小島幸雄氏)
画像7:襄樊市米公祠(撮影:北原直樹氏)
北宋の有名な画家“米芾”を祀った祠です。
画像8:米公祠大門の門墩 (撮影:島村志げりさん)
太鼓には龍が二匹彫られています。
画像9:襄陽王府に再建された大門
画像10:襄陽王府大門の抱鼓型門墩
太鼓の外側には“八花弁の蓮の花”が、内側には“蓮池に一羽の鷺”
(一路連科)の吉祥図が彫られています。
中国の経済発展にともなって名所旧跡の復旧が各地で盛んに行われています。
それにともなって“門墩の北京式化”が行われているのは悲しい出来事です。
高官が住んだ北京城内の豪邸の門墩は“複雑な須弥座に錦鋪を掛け、その上に大きな鼓座に太鼓”を乗せた見栄えの良い派手な形をしています。私はこの派手な門墩を“北京式門墩”と呼んでいます。
米公祠や襄陽王府でも立派な大門建設にあたって、“北京式門墩”が設置されたのは残念に思います。
3、箱子型
箱子型門墩は全部で12組見ました。
画像1:赤壁の拝風台
曹操の船団に勝つ為、諸葛孔明が風向き変えを祈った所です。
画像2:拝風台の門墩 (高50cm 幅30cm 全長92cm)
正面には老木の枝に鳥が一羽止まって花を見ている模様が彫られて
います。
画像3:米公祠入口
画像4:米公祠入口の門墩(撮影:北原直樹氏)
模様は彫られていない簡素な物です。
(高:56cm 幅:24cm 全長:64cm)
画像5:米公祠に収集されている門墩
正面には輪を銜えた獣吻(龍の子供)の顔が、内側には鹿が彫られて
います。
画像6:宣昌市遠安県章郷の農家
画像7:農家の木の門墩
「田舎には木製の門墩がある。」と中国の各地で聞きます。
木製の門墩を見たのはこれだけです。
門と直ぐ分かる物は以上の4組のみでした。
他の8組は長い門枕の様に見える3組と、門枕と見間違える程小さい5組でした。
長い箱子型門墩
関羽の猛将周倉の墓がある宣昌市遠安県両河郷麦城の農家には他では見かけない珍しい長細い門墩がありました。
画像1:204号
画像2:204号の門墩
画像3:23号の出入口
画像4:23号の門墩
画像5:106号
画像6:106号の木製の門墩
低い箱子型門墩
大変低く門枕と見えるものが5組有りました。
画像1:宣昌市黄陵廟の大禹茶軒(1888年建築)
画像2:大禹茶軒の門墩
画像3:墓廟(所在地:宣昌市遠安県両河郷麦城)
関羽の右腕と言われた周倉の墓
台湾の有志が資金を出し1999年に建設
画像4:墓廟の門墩
画像5:襄樊古隆中の諸葛草庵の門
画像6:諸葛草庵母屋入口
画像7:諸葛草庵母屋入口の門墩
画像8:宣昌市培元路13号の民家
この民家は現代建築でしょう。
画像9:13号の民家の木製門墩
4、門枕
門枕は次の4箇所で見ました。
画像1:開元観の正門
唐代に創建された道教寺院 (所在:荊州市中路)。
画像2:開元観の門枕石表側(高さ24cm)
画像3:開元観の門枕石内側(高さ24cm)
画像4:襄陽王府だった場所の外門
襄陽王府とは隋の時代から襄陽地方を治める政治的中心地
画像5:襄陽王府の外門の門枕石
画像6:南漳県文物管理所に保管されている門枕
画像7:顕陵の功名門の遺跡
門の建物は無くなって、建物の基礎石と三組の門枕があります。
顕陵とは明の12代皇帝の両親を祭った世界遺産の陵 (所在:鐘祥市)
門墩と門枕の厳密な定義は無いようです。
私は門扉の回転軸受台と同じ高さのものを“門枕”と定義し、軸受台より高いものを“門墩”と定義しました。
門墩や門枕を使用してない普通の家は“門扉を支える部分が着いた石の地栿”を使っています。
(高:16cm 幅:170cm 奥行:65cm)
【 参考 】
≪湖北伝統民居≫(中国建築工業出版社 2006年10月出版)に抱鼓10組:箱子型23組:台座型3組:門枕7組が掲載されています。
代表的な物を紹介します。
抱鼓型
清朝の第10代咸豊皇帝が皇太子だった時教師をした陳光亨の故居の抱鼓型
画像1:所在地:黄石市 制作:清代
清朝の儒士の故居の抱鼓 型
画像2:所在地:咸寧市唐家壟牌坊屋 制作:清代
大邸宅の抱鼓型
画像3:所在地:襄樊市南安交界
門の飾りとして他から移設されたと思われる抱鼓型
画像4:所在地:洪湖市瞿声宝宅
画像5:所在地:荊州市周老嘴鎮117号
箱子型(有彫飾)
箱子型で模様が彫られたり複雑な型をしたものは6組です。
その中の代表的な物5組を紹介します。
大変複雑な珍しい型をしています。上部に有った物が壊されたのではないかと思います。
画像1:襄樊市 馮氏民居 制作:明代
湖北省では余り見かけない様式の門墩です。
画像2:襄樊市甘渓郷 王氏民居1号
全面に模様が彫られた豪華な門墩です。
画像3:十堰市高家花屋
角にも模様を彫った門墩
画像4:黄岡市 潘氏祠堂1926年建設 (もしくは孝感市双橋街85号 劉宅)
門の飾りとして他から移設されたと思われる門墩
内部の第二門に抱鼓型門墩が見られます。
画像5:黄岡市 羅田新屋 制作:明代
箱子型(無彫飾)
模様の彫られていない箱子型18組の中の代表的なものを紹介します。
位の高い人の屋敷に設置されたと思われる簡素だが大きな箱子型門墩
画像1:咸寧市 株林牌坊屋 制作:清代
画像2:黄石市 光録大夫府 制作:清代
富豪の屋敷に設置されたと思われる箱子型門墩
画像3:咸寧市 劉家大屋 制作:清代
珍しく前に長く出た箱子型門墩
画像4:武漢市 蔡昌浩
太い箱子一体型門墩
画像5:咸寧市 羊楼洞鎮公所
台座型
台座型が3組有りました。
画像1:十堰市 三盛院中路庁口
画像2:十堰市 三盛院臨街立面
画像3:黄石市 李氏家族支派祠堂
長寿の象徴仙鹿が彫られています。
2016年4月に屈原祠(秭帰県)と王昭君故郷(興山県)の写真を平井徹氏がくださいました。
この二箇所の門墩を紹介します。
画像1:屈原祠門楼
画像2;屈原祠門 抱鼓型門砘が設置されてます。
画像3:右側門砘
画像4:左側門砘 門扉下軸は石でなく木の門臼に受けられています。
この門墩の軸座には門扉下軸を受ける穴が掘られていないのでしょう。
こうした物は門墩と区別し門砘と命名してます。門砘は各地にあります。
画像5:王昭君記念館の門楼 台座型門墩が設置されてます。
画像6:右側門墩。
正面に翻帯が結ばれた如意棒、内側には切立った岩の両側に獅子が彫
られてます。
画像7:左側門墩。
正面には何が掘られてるか分かりません。内側には中央に二階建門楼、
その左側に飛び跳ねた鯉、右側には蝙蝠と如意棒が掘られてます。
湖北省南部と江西省との接点=咸寧市の門礅事情を紹介します。
2019年11月2日~3日 咸寧市通山県にある“中国道教五大聖地”の一つ九宮山を訪ねました。ここで見た16組の門礅は全て簡素な無彫飾箱子一体型でした。獅子型・円型の門礅は見当たりませんでした。4組見た門枕の内1組だけに吉祥模様が彫られてました。
王明璠府第 清咸豊年間建設 王明璠は1829年生ー1906年没 江西楽安知県
王松坡宅?(別棟)
楚王山 南林石門 通山県南林橋鎮石門村にあります。
2000年前 楚庄王(春秋時代ーBC591年 穆王の子)穆がここに狩場を設けましたので楚王山と言われてます。
宝石村明居群 “楚天第一古民居群”宝石村は通山県闖王鎮に在ります。
明朝洪武部年間に舒氏祖先が開き、明朝末期には千戸多の村
だった。
村は裕福で「最盛期には八品以上の官員が百人以上も朝廷に
参上し、北京には官僚や医者や役者を沢山出した。」と舒氏族譜
に記載されています。
周家大家 三国時代の東呉国軍大将周瑜の子孫の大邸宅。
230年以前建設・房間132部屋・48天井 通山県九宮山鎮中港村
九宮山 瑞慶宮 五大道教名山之一 教祖張道清が南宋淳煕年間(①117-1789
年)創建した三宮十二院の建物