第11章 長江河口に門墩が少ない理由

長江河口の江蘇省・浙江省を調査して気に成った事があります。
 この地域は南宋の中心地で伝統もあり経済力も豊かな地方で、高官や富豪の屋敷が在ったにしては身分を現わすと言われる門墩が少ない事です。
 門墩が少ない原因の一つに家屋の建築様式が考えられます。
 この地域では門楼の中央に門が設置される“石庫門”が一般的です。この門は門扉の回転軸を石の“冠木”と“地栿”で挟む“上下挟式”で門墩を設置するには不都合な門です。(参照:画像2)
 門墩が少ないもう一つの原因は“須弥座に錦鋪を被せた豪華な北京式門墩”を生んだ政治的背景だと思います。
 甥の建文帝から無理やり政権を奪った明の第三代皇帝永楽帝は、南京から北京に遷都しようと考えたとき、北京を強力な権力者が新しい秩序を確立した都に見せる装置の一つとして、人目につく門墩を“須弥座に錦鋪を被せた豪華な北京式門墩”(参照:画像3)にし、これに拠る身分秩序の強調を図った。
 これに対して宋の文化の正当な継承者と自負する長江河口地域の人々は、「政権を簒奪した北方者に今更彼が決めた門墩で家柄を認めてもらう必要は無い!」と永楽帝のこの企てに従うのを潔とせず、明代の高官の館では北京式門墩を敢えて使用しなかった。
 又、永楽帝の側では見せしめとして、この地方の高官や豪族に対して北京式門墩の使用を許さなかったのでしょう。
 こうした両者の思惑があいまって、この地方には門墩が少ないのだと思います。
 以上は私の仮説です。関係者の方々のご教授ご批判をお願いします。

   画像1:清朝の進士合格者数
        清朝順治~光緒の264年間に科挙の高位合格者進士331人の内、

      江蘇省と浙江省の出身者は6割193人です。 これ程高官の割合が

      高く、富豪も多かった長江河口地域です。
        身分を象徴する門?は多く有るべき地域でしょう。
   画像2:“石庫門”の屋敷街
        “石庫門”が並び、門?のない浙江省杭州市川坊街
   画像3:“北京式門墩”
        永楽帝が身分制を強調する為に作らせた豪華な門墩
                          (所在地:北京市寶産胡同23号)
   画像4:古い抱鼓型門墩
        北京式門墩が制定される以前の質素な門墩  

                          (所在地:陝西省漢中市張良廟)
   画像5:大海から昇る太陽をかたどった門墩
        長江河口地域で発生した独特の托日型門墩。

 

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