第6節 寧波市

 寧波市は杭州市の140km東に有ります。
 港として古くから発展し、不老長寿の薬を求めて東に向かった徐福はここから出発し、遣唐使はここに着いて長安を目指しました。室町時代の明との貿易もこの港で行われていました。
 2004年8月2~3日と05年11月14日~15日寧波市に行きました。
 寧波市で托日型:8組 渦巻型:2組確認しました。

   画像1:寧波市も都市開発が行われ、古い町並みを残す所は少なく、永寿

      街は数少ない古い町並みの一つです。

   画像2:永壽街50号
        現在は学校として使用されていました。
   画像3:永壽街50号の門墩
   画像4:郊外の山中にある天童寺の天王殿
   画像5:天王殿の門墩 (高:146cm)
   画像6:天一閣の門墩 (撮影:高津研一氏)
        天一閣は明代嘉靖年間(1561~66年)に建設された現存する中国

      最古の蔵書院で、30万以上の書籍を収蔵しています。
        以上の三つの門墩は石材も型も大きさもそっくりです。
              型はまさに大洋から昇る朝日のようです。
   画像7:月湖の側の寧波市文物保管理所
   画像8:文物保管理所入口に置かれた門墩 
                  (高:117cm 幅:45cm 奥行:121.5cm)
        月湖を清掃し湖底で発見された漢白玉製の大変立派な門墩です。
        荒波の大海に浮かぶ太陽の型に見えます。
        門扉の回転軸を受ける部分が大変豪華な花瓶に作られています。
        大変身分の高い高官の豪邸に有った物でしょう。
   画像9:市文物保管理所の筋向いの古美術商の門に置かれた門墩。
        模様は何も彫られていません。  (高:87cm 奥行:93cm)
   画像10:郊外の天童寺の境内に置かれた渦巻型門墩
         内側には牡丹が豪華に彫られています。
                   (高:86cm 幅:26cm 円直径:.57cm) 
  

2014年11月に建築士の姉川氏が寧波市に行き、以下の写真を下さいました。

  画像1:天一閣門楼

  画像2:天一閣門楼の裏側

  画像3:天一閣門楼の托日型門礅

       高さ:121cm5mm 台座幅:24cm  全奥行:89cm5mm

  画像4:天童寺の天王殿の門(天王殿全景は上の画像4)

  画像5:天童寺の天王殿の托日型門礅

       高さ:121cm 台座幅:42cm  奥行:118cm

  画像6:阿育王寺の天王殿の托日型門礅

       高さ:113cm 台座幅:35cm  奥行:114cm

  画像7:保国寺博物館門

       これは保国寺の門ではなく、近くの邸宅の門を1988年に移設した門楼。

  画像8:博物館門前に保管されている托日型門礅

       高さ:146cm5mm 台座幅:24cm  全奥行:67cm

  画像9:博物館の境内に保管され托日型門礅

       高さ:52cm5mm 台座幅:27cm  全奥行:119cm    


寧波市在住の歴史学者楊古城氏が市街周辺の門墩写真を下さいました。
 写真の説明は楊古城氏です。


   画像1:南宋朝の丞相史氏一族の門墩
        瑞雲托日型の南宋時代の門墩 
                  (撮影:楊古城氏
                   高:120cm 幅:30cm)
   画像2:武山廟の1935年前後の門墩
        武山廟は蒋介石氏の家廟。
                  (2002年3月30日撮影:楊古城氏  
                   高:150cm 幅:20cm)
   画像3:大慈山寶華寺の南宋時代の門墩
        南宋の丞相史須遠氏が建てた寺院。
        門墩に模様は彫られていなく、基座に圭角素雲が彫られている。
                  (2000年8月撮影:楊古城氏   
                   高:120cm 幅:30cm)
   画像4:慈渓市洞山寺の南宋時代の門墩。
        丸い部分に鹿と太湖石の築山の吉祥図が、基座の須弥座には

      牡丹が、基座には圭角素雲が彫られている。
                  (2003年2月25日撮影:楊古城氏
                   高:120cm 幅:30cm)
   画像5:南宋の丞相葉夢鼎家廟の門に有った門墩
        渦巻線を彫った太湖石門?。 石材は浙西の石灰石。
                  (2003年1月18日撮影:楊古城氏
                   高:76cm 幅:22cm 奥行:84cm)

【門墩の発生に二つのルートが?】

 門墩は門枕の門の外部に出ている部分を上に伸ばし箱子型門墩ができ、箱の部分が太鼓や獅子になって抱鼓型門墩と獅子型門墩ができたと思います。(画像1)
 寧波の門墩(画像2)は常州市にある横板子型門墩(画像3)の前に“雲に浮かんだ太陽を乗せた台座”を着けて出来たと思います。
 門墩の発生に二つのルートが有ったと思われます。
 但し時期的には門枕からの門墩ができ、その後横板子型の前に豪華な飾を着ける方法が発生したのだと思います。

寧波市前童鎮
 寧波市の75km南の前童鎮で珍しい門扉回転軸受けを見ましたので紹介します。
 この村は元代の末期に童と言う姓の人が開拓した村で明清時代の建造物がそっくり残っている村です。明朝洪武十八年(1385年)建てられた童氏の宗祠が健在です。
 
 2004年8月3日前童鎮に行きました。
 門簪型軸受:7組 門臼:6組 門枕石:1組確認しました。
 ここでは門墩は1組も見かけませんでした。

 中国の古い建物の門は、上下に回転軸を持った頑丈な門扉を備えています。その回転軸は鴨居と敷居の穴に差込まれ円滑に開け閉めできます。
 門扉の下の回転軸を受けるのにいろいろ工夫され門墩や門枕が生まれました。
 ここ前童村では他では殆ど見たことのない軸受があります。
 敷居に差込まれた木が回転軸を支えているのです。私は“門簪型軸受”と命名しました。

   画像1:前童民俗博物館大門
        石の敷居部分に木が差込まれています。
   画像2:前童民俗博物館大門の裏側
        石の敷居部分に差込まれた木が門扉の回転軸を受けています。
        差込まれた木は地面に付いていません。地面から離れています。
        門枕は地面に置かれ、敷居に上から押さえら地面に固定されるのです。
   画像3:門簪型軸受を備えた民家
   画像4:門簪型軸受
   画像5:門簪型軸受を備えた民家
   画像6:門簪型軸受を備えた民家
   画像7:門簪型軸受を備えていた民家
         門扉も門柱も軸受も失われて、石の敷居に門簪型軸受が差込まれ

            ていた穴が見え、構造が良く解かります。
      画像8:門楼が倒壊した屋敷の石の敷居
                門簪型軸受が差込まれていた穴があけられています。
   画像9:紹興市の魯迅故居の第二門
                ここにも門簪型軸受が有りました。
   画像10:雲南省麗江の民家
        ここにも門簪型軸受が有りました。
        広い中国で門簪型軸受を見たのは三箇所だけでし

 

門墩を使用しない門の門臼を紹介します。

 門簪型軸受を持たない門は石製または木製の門臼(日本語では藁座)が門扉を受けています。

   画像1:石鏡山路55号の邸宅
   画像2:上記の門の石製の門臼
   画像3:門臼の付いた石栿
          門楼が倒壊した屋敷の石栿
   画像4:門臼の付いた石栿
               これは半間の片開き門の石栿でしょう。
   画像5:“明経”宅の門
        清代の同治年間(1862~74年)に建てられた四合院。
   画像6:“明経”宅の門の内側
        門扉は木の敷居に付けられた木製の門臼で受けられています。

 

   画像7:慧明寺の遺跡
        明代の寺の遺跡があり、その門の遺跡に門枕が残っています。
        前童村で門枕を見たのはこれ1組だけです。

 

第 6節 寧波市 終

第10章 浙江省 終