第2節 大理古城

 大理市古城は麗江市の110Km南にあります。
 8世紀に南詔王国の首都が置かれ、10世紀に大理国が建国された時もその首都でしたので大理古城と呼ばれて居ます。約1,5km四方の城壁に囲まれた古都です。

 写真は南大門から北の鼓楼に続く商店街復興路です。

 

 (大理市市街は古城の15km南東です。)
   

 2004年と07年に麗江古城・喜洲鎮に行った前後に古城の中の門墩を調査し、獅子型6組・箱子型2組・門枕石1組・門枕木17組を確認しました。

 表通りは商店が多く、したがって取り外しに便利な格子扉門で、門墩等を使う両開き門は裏通りや住宅街にあります。


 獅子型は6組全て壊されています。

 丸い太鼓型と直方体の箱子型はありませんでした。

 

 獅子型を紹介します。

   画像1:新生巷17号の門                (画像をクリックして 大きくなりますヨ)
             画像2:新生巷17号の獅子型
        獅子の胸から上が壊されています。
        台座の正面に霊芝を銜えた兎が線彫りされています。

   画像3:新民路75号の門
   画像4:新民路75号の門墩
       獅子は削られて輪郭しか残っていません。
       獅子は寝そべっていた??

   画像5:玉洱路201号
    画像6:玉洱路201号の門墩
        ここの主人がここには獅子が居たと説明して下さいました。
        台座の正面と側面に模様が彫られていますが半分以上埋まっていて

       何だか判りません。
        石材は立派な白大理石漢白玉です。

   画像7:新民路97号の門
        門の構造が西洋的で清朝末期~民国時代の建築と思われます。
   画像8:新民路97号の門墩 (高さ:21.5cm 幅:20cm 全長:50cm)
        台座の正面と内側の模様も削られて内容は判明しません
              家の人に「昔この上に獅子があった。」と言われ、その気になって

      見ればそれらしい跡が窺がわれる門砘。
              台座の内側と正面に模様が線彫りされていますが、写真からは分か

       りません。 

   画像9:広武路79号の門墩
        良く看ると獅子の撤去跡が微かに見て取れます。

   画像10:清真古寺の門墩 人民路11号
         寺の門墩の獅子も壊されています。

                        (台座高:18cm 幅:16cm 全長:49cm)

 

 

 

  現在はホテルになっている屋敷の豪華な門には門墩が付け根から壊された跡が有りました。
 以前は獅子型門墩があったものと推測しています。
    画像:玉洱路80号の門(写真の右側の豪華な門)

 箱子型門墩門枕を紹介します。

 箱子型は2組有りましたがどちらも敷居と同じ高さしかない背の低いものでした。

   画像1:復興路45号の門
        城門と鼓楼を結ぶ観光のメイン道路=復興路に面したこの家は門前に飲料水や卵などを置いて売っています。
        門の両側には馬を繋ぐ穴が穿ってあるので、以前は位の高い家だったはずです。  
   画像2:復興路45号の箱子型低門墩    
        正面には瑞雲頭が浅く浮彫りされています。

 

 門枕木17組の中から2組を紹介します。
   画像3:一塔路72号の邸宅

        母屋の妻壁に大理地方特有の飾り模様が描かれています。 
   画像4:一塔路72号の門枕木を備えた門

 

 
   画像5:蒼坪街71号の門

   画像6:蒼坪街71号の門枕木

        門枕の先を二段にして変化を持たしています。

   画像7:一塔路76号

   画像8:一塔路97号

   画像9:新生巷25号

   画像10:復興路253号

 

 

 4000m級の嶺が連らなる蒼山が西にある大理古城の夕暮れは早い。
   玉洱路(東→西)

第2節 大理古城 終