第2節 梅州市
梅州市は広州市の320km東北東 広東省東部で福建省に隣接する所にあります。
“客家文化”の中心地と言われ客家の建築の一つ“囲龍屋建築”が多く在りました。
ここでは獅子型・抱鼓型は見かけませんでした。
箱子一体型門墩:24組 門枕木:1組を確認できました。
ここの箱子一体型門墩は大変低く、敷居の高さを超えません。そして各地域毎で特徴がありました。
1、梅州市街地
梅州市は広東西部では一番人口が多い市ですが、私が見て廻ったところが悪かったのか門墩は見当たりませんでした。
画像1:進士楼 (画像をクリックして 大きくなりますヨ)
梅州市地図に進士楼とありました。進士楼は門墩を備えています。
期待してタクシーに乗りました。
「進士楼!」しばらく走って「そこの中で聞いて」
「進士」の門の中に入りました。10分ほど探しました。人にきいても
「さ~?」 かっては大きな屋敷だったろうと思われる建物はありますが、
門楼は無い。
残念ながら門墩は見当たりませんでした。
画像2:新中路の商店
豪邸だったと思われる建物です。門も商店に改造されています。
画像3:華苑路の門楼
この門は門墩を使わない上下挟式の構造です。
画像4:承徳楼
以前の豪邸が立派な餐庁になっています。ここも門墩を使わない上下
挟式です。
画像5:壽山公祠
どんな人を祀った祠か分かりません。門墩を使わない上下挟式です。
2、五華県(市の西南部)
低くて長い門墩がここの特徴です。
画像1:老楼村の崇慶楼
画像2:崇慶楼の門墩
低く長いのが特徴です。
画像3:老楼村羅庚地047号の民家
画像4;047号の民家の門墩
低く長いのが特徴です。
門墩を備えた15軒は全てこのように低く長い物でした。
画像5:老楼村の聯慶楼
マカオ建築界の巨商李浩が1882年に建設
四隅に砲楼を備えた二階建ての客家囲屋です。
画像6:聯慶楼の門墩(高:42cm 幅:40cm 全長:103.5cm)
五華県でこの門墩だけが敷居より高い門墩でした。
3、梅県塘肚村(市の西南部)
村の古い建造物39軒の内18軒を見ましたが門墩を備えたのは5軒だけでした。
いずれも低い門墩で五華県の様に長い物ではありませんでした。
画像1:出水蓮の下堂(門棟)
明朝末に潘士望(品一公)と潘士泓(允彝公)兄弟で建設した囲龍式
客家建築で、門に門墩を備えています。
画像2:上新屋の下堂(門棟)の門
清朝中期に潘和玉が建設した囲龍式客家建築です。
画像3:品一公祠の敷地に入る院門
明朝末期に潘士望(品一公)が建設した囲龍式客家建築への門です。
画像4:出水蓮の敷地に入る院門
画像5:出水蓮の院門の門墩
正面に瑞雲頭の吉祥模様が彫られています。塘肚村8組の門墩で
模様が彫られていたのはこれだけでした。
画像6:允彝公祠の敷地に入る院門
明朝末期に潘允彝が建設
画像7:允彝公祠の下堂(門棟)の門
画像8:対門排
明朝末期に潘前渓が建設
画像9:対門排の下堂(門棟)の門
以上が梅県塘肚村で見た門墩の全てです。
出水蓮は大変広い敷地を持ち、敷地に入る最初の門は壊れて敷石と箱子一体型門墩のみを残していました。
4、梅県高田村(市の中央西部)
この村に建つ28軒の古い建造物の内18軒を見ました。家は大きくても門墩を備えた家は無く、木の門枕を備えた家が1軒だけでした。
画像1:南華又廬
清朝光緒三十年(1904)に潘祥初が建築した親族八家族が住む二階
建ての殿堂式客家大建築です。
画像2:上新屋
清朝中期から1910年にかけて建てられた2つの囲龍客家建築と2つ
の殿堂式客家建築が連なる一群です。
画像3:益錫廬 謝屋24号
1940年代に潘増兆等が建設した殿堂式客家建築です。
画像4:南華廬の下堂(門棟)の門
清朝光緒二十三年(1897)に潘祥初が建築した殿堂式客家建築の
門です。
以上の四つの民家は豪邸ですが、門は備えておらず門は上下挟式なのです。
画像5:宝樹堂の下堂(門棟)の門
明朝末期建設の殿堂式客家建築の門です。
梅県で唯一つ見た門枕木を備えています。
第2節 梅州市 終