第1節 広州市

 省都広州市は中国の南大門と言われ、古くから諸外国と交流があり今では開放経済最先端地区として有名です。
 2011年10月21日~25日大阪建築士会の視察旅行に参加し広州市とその周辺を視察しました。

 

 獅子型:1組 抱鼓型:12組 台座型:12組 箱子一体型:7組 横板型1組を確認しました。

 

1、獅子型門墩                     (画像をクリックして 大きくなりますヨ)

 獅子型門墩は各地に有るのですが広州市では1組しか見かけませんでした。
   画像1:華林寺(広州市康王中路)
   画像2:華林寺の門横に収蔵された獅子型と抱鼓型の門墩
    
 有名な広州市の陳書院境内に収蔵された獅子型門墩と見えるのが2組ありましたが、どちらも台座型門墩に別の獅子を接着した物でしょう。
   画像3:陳書院収蔵品
   画像4:陳書院収蔵品

 

2、抱鼓型門墩

 12組の中で門扉を支える門墩として使われていたのは4組でした。

 2組は広州市番禺区に清朝同治十年(1871)に立てられた餘蔭山房の善言鄥公祠と潜居鄥公祠です。

   画像1:餘蔭山房の配置図
        清朝の挙人鄥人彬が建設した広東四大名園の一つ

 

   画像2:餘蔭山房の善言鄥公祠門楼
   画像3:善言鄥公祠門楼の抱鼓型門墩
            (高:223.5cm 台座幅:55 cm 台座奥行:90cm)

 

   画像4:餘蔭山房の潜居鄥公祠門楼
   画像5:潜居鄥公祠門楼の抱鼓型門墩
            (高:228.5cm 台座幅:55 cm 台座奥行:90cm)

 

 他の2組は広州市黄埔区に隋代開皇十四年(549年)に創立され、唐代に拡張された南海神廟です。

   画像1:南海神廟配置図
   画像2:南海神廟正門 
   画像3:南海神廟正門の抱鼓型門墩
              (高:129cm 台座幅:49 cm 全長:123.5cm)
   画像4:南海神廟儀門 
   画像5:南海神廟儀門の抱鼓型門墩
              (高:172cm 台座幅:38 cm 全長:127cm)

 

 餘蔭山房と南海神廟以外では門扉を支えるのではなく、門の出入口の飾りとして設置されています。広州市以外の地ではあまり見かけない使用例です。

  画像1:広州市の陳書院
       清代に四年間掛けて1894年に落成した広東省72県の陳一族の祖先を

     祀る豪華な祠兼書院が全国重点保存文物として保存されています。
  画像2:陳書院正門の抱鼓型門飾 

             (高:227cm  幅台座:53cm  奥行:141cm)

 

  画像3:広州市の六榕寺正門の抱鼓型門飾

       ラマ教の八宝吉祥の一つ金輪が彫られています。

  画像4:広州市の六榕寺内の円通の抱鼓型門飾
  画像5:広州市の光孝寺正門の抱鼓型門飾

 

3、台座型門墩

 広州市と東隣の増城市で台座型門墩を12組見ました。

 吉祥模様が彫られたのが3組:模様は無いが四隅に竹棒が彫られたのが8組:四隅が単純な棒になっている簡素なのが1組でした。身分の違いなのでしょう。

   画像1:広州市花都区の資政大夫祠
        兵部任郎中徐方正が清朝同治二年(1863)に父親資政大夫祀る為に

      建てた祠
   画像2:資政大夫祠の門墩
        台座の正面と側面に避邪の獅子が彫られています。
   画像3:広州市花都区の洪氏大宗祠
     清朝の1850年に太平天国の乱を起こした洪秀全の祖先を祀った祠
   画像4:洪氏大宗祠の門墩
        門墩に吉祥模様は彫られていませんが台座の四隅は竹に彫られてい

       ます。
   画像5:増城市の受閑黄公祠の門墩
     この門墩の四隅は竹には彫られず、簡素な門墩です。

4、箱子型門墩

  7組の箱子型門墩はいずれも吉祥模様が彫られていない簡素なものでした。

   画像1:増城市の壮逸黄公祠
   画像2:増城市の羅峯黄公祠
   画像3:広州市花都区の:凌氏大宗祠
   画像4:広州市の六榕寺正門の箱子型門墩
   画像5:広州市の光孝寺正門の箱子型門墩

 

5、石周楼 (周に石偏を付けた漢字:diao)

 今回の旅行の目的の一つが広東省に多い“客家の不思議建築”視察でした。
“客家”とは北方騎馬民族が黄河流域まで勢力を伸ばした時、戦禍を逃れ長江より更に南方の未開の土地にまで移民した漢族です。現地では歓迎されざる一族なので一族が力をあわせ自衛できる住居を作って団体で住みました。
 今回視察した広州市西南の開平市地方は洪水の多い地方なので水害も避けるために為に高層の頑丈な住居“石周楼”を建てていました。(世界遺産)

 

   画像1:三門里 迎龍楼
        明朝嘉靖年間(1522~1566)に建てられ開平市に現存する最も古い

      “石周楼”です。
         壁は厚さ93cm、窓は小さくて少なく鉄格子、鉄扉、3階には銃口。城

       のような建物です。
   画像2:自力村 葉生居盧(1930年建設)と銘石楼(1927年建設)
        1840年代のアヘン戦争後、自力村民は外国に働きに出、金を稼ぎ

            故郷に送り洋風の住居を建てた。
   画像3:加掌大村
           カナダに出向いた関一族の人々の村
      画像4:立園 泮立楼と炯盧と楽天楼
          アメリカで勤め、後に独立して香港で貿易業を開業して大富豪になっ

           た謝維立が十年掛けて完成させた建築群。
             1930年に立てた泮立楼(左端の3階建) 1934年建設の炯盧(中央の

            2階建) 1926年に最初に完成させた楽天楼(右端の5階建) 
   画像5:馬降龍村 法欽黄公祠と天禄楼
        黄氏一族の祖先を祀った祠と一族29軒が資金を出し合って1925年に

            建てた7階建の天禄楼
 
 外国に働きに出て成功した人たちの住居地域で、中国の家柄を示す門墩は見当たりませんでした。

 

第1節 広州市 終