第1節 泉州市

 泉州市に行政区が設置されたのは三国時代(220~265年)です。その後4世紀に黄河中流地域が戦乱で荒れ、多くの人民が黄河地域から長江の南方まで移住し、それにつれ中華の文化や技術が福建省にも広がり発展しました。
 特に南宋~元朝時代に湾港都市として発展し、ベトナム・インドからアラビア半島までの海上交易ルート基地の一つとして大変発展しました。
 近松門左衛門作の『国姓爺合戦』の主人公・明朝末期の鄭成功はこの地の人物です。

 2010年3月30日~4月2日泉州市を訪れました。
 獅子型:1組 渦巻型:24組 托日型:4組 箱子型:3組 合計32組の門墩を確認しました。

 

 「何処へ行ったら自転車が借りられる?」とホテルのフロントの女性に聞くと、「知らない。何に使うの?」
 事情を話したら女性が自分の自転車を貸して下さったので、4日間の駐在でしたが市街地の殆どを見て廻ることが出来ました。
 お礼は「いらない!」と受け取ってもらえないのでリンゴとバナナ一盛りを買って御礼に渡しました。
 自転車で出かけるとゴトンゴトンとおかしな動き。
 調べたらチェーンの1箇所が壊れかけている。
 自転車屋が有ったので5元でチェーンを新品に取替え。無事でした!

 

 

 

 

 獅子型門墩は古美術商が商品として展示しているのしか見かけませんでした。

 渦巻型には大変豪華な物から簡素なものまでいろいろありました。私は三種類に分類しました。
 一番豪華な型のものから紹介します。

   画像1:文廟の正門                       (画像をクリックして 大きくなりますヨ)

               文廟は孔子を祀り、この地方の学問研究所として唐代開元年間(713

      ~741年)に建てられ、北宋の976~981年にここに移され、宋・元・明・

      清の四時代の建築物を残す全国重点文物保護単位(日本の国宝)
   画像2:文廟正門の門墩 (高:98cm 台座幅:37cm 奥行:79cm)     
   画像3:正面に厳しい麒麟が彫られ、堂々とした威厳のある門墩です。

 

   画像4:呉氏大宗祠

        明朝万暦十一年(1583年)の進士呉龍徴氏の故居で、清朝末期に

       子孫で進士第一位の状元になった呉魯氏が一族の宗祠に改造した

       建築です。 
   画像5:正門の門墩

 

   画像6:天后宮の寝殿

   画像7:寝殿の入口を飾っている収蔵された門墩
   画像8:奕鴻美術学校 
       文廟前の広場にある大邸宅で、現在学校に転用されています。
       文廟に関係のあるかなり古い建造物でしょう。

   画像9:学校正門の門墩

 

  渦巻型で二番目に豪華なものを紹介します。

  画像1:施浪故居

        施浪氏(1621~1696年)は清朝の水師提督になった軍人。

  画像2:施浪故居の門墩 (高:91cm 幅:21cm 奥行:50cm)
         長寿を願ったのでしょう。門墩の正面に鹿と鶴が彫られています。


  画像3:開元寺の仏教博物館前
              開元寺には門墩を設置した建物はありませんでしたが、境内には沢山

      の門墩を収蔵していました。

     画像4:開元寺境内の収蔵門墩
     画像5:開元寺境内の収蔵門墩
         二羽の鶯がとまった梅の樹に三羽の鶯が飛んで来ている図が彫られて

      います。


     画像6:古美術商“盛世古玩店” 涂門街162-21号

   画像7:“盛世古玩店”の商品   (高:106cm 奥行:102cm)

 

     画像8:薫楊大宗祠

       開元寺南の古い街路にある祠

   画像9:薫楊大宗祠の門墩
        台座部分に牡丹が豪華に彫られています。

    

  渦巻型で台座を持たないものを紹介します。

 開元寺は唐代に創建され、泉州一広い寺で、多くの門墩を収蔵していました。
   画像1:開元寺境内の収蔵門墩
   画像2:開元寺境内の収蔵門墩
       万病に効く霊芝が大きく彫られています
   画像3:開元寺境内の収蔵門墩
       逆巻く波が渦を支えています。
   画像4:開元寺境内の収蔵門墩
       水中から上を目指す龍が顔を出しています。
   画像5:古美術商“清静鴻榕軒”の商品 (高:70cm 幅:22mc 奥行:77cm)
        正面に松の大樹の下に仙鹿の吉祥図が彫られています。
 

 

 

 “清静鴻榕軒”経営の一家。
 門墩を拓本に取らせてもらいました。
重い門墩を動かしたり、娘さんが門墩を洗う布を貸してくれ洗ったり、“お茶を呑め” と言葉は分かり難かったが皆さん大変親切でした。

 托日型門墩は4組ありました。
いずれも太陽が逆巻く波から昇る様に見えるデザインの門墩です。
中国で喜ばれる成語“紫気東来”を象徴しています。

   画像1:開元寺山門
        開元寺は唐代686年に蓮花寺として創建され、何度か改称され738年

      に現在の名前に成りました。大変広い境内をもつ大寺院です。
   画像2:開元寺山門に置かれた托日型 

                  (高:144cm 台座幅:76cm 奥行:162cm)
        大きく堂々とした門墩です。
        開元寺山門の門墩ではなく、他の場所の門墩を保存し飾りとして置いた物

      でしょう。
   画像3:開元寺境内の収蔵門墩
   画像4:古美術商“集古斎”の商品
   画像5:古美術商“東寶閣”の商品

 

 

アモイ市の南普陀寺天王殿の門墩
まさに波間から昇る太陽を思わせる托日型門墩です。
              (撮影:池上勝次氏)

箱子型は3組有りました。

  画像1:承天寺山門
       957~958年に南禅寺として創建され、北宋時代の1007年に承天寺と

     名前を改め、現在の建物は清朝康熙三十年1692年に改修されたもので

          す。
  画像2:承天寺山門の箱子型
  画像3:古美術商の商品
  画像4:開元寺の東塔
      最初唐代に木造で建てられたが、現在の五層48m石造りは宋時代に12年

      かけ1250年に完成した塔です。
  画像5:東塔の入口の箱子型

 

渦巻型門飾

 泉州市では他では見た事の無い泉州独特のものを見つけました。門墩と見間違うものです。
建物出入口の柱の前に置かれており、一見門墩と見えるのですが、これは飾りとして置かれているだけで建物内側で門扉を支える部分は無いのです。“渦巻型門飾”と命名します。

  画像1:天后宮正殿
  画像2:正殿の門飾

  画像3:天后宮境内の収蔵門飾
  画像4:崇福寺兜率天宮

      崇福寺は北宋初期に尼寺として創建され、その後度々改修され1996~

      2001年に掛けて明代の雰囲気を残して改修されました。

  画像5:崇福寺面兜卒天宮前の門飾

  画像6:開元寺境内の収蔵門飾
  画像7:開元寺境内の収蔵門飾

  画像8:開元寺境内の収蔵門飾

 

托日型門飾

 托日型にも門扉を支える役をしていない“門飾り”が3組有りました。

  画像1:天后宮
       天后宮は伝説上の海の女神“媽祖”を祀って宋代慶元二年(1196年)に

         建てられた神社
             前の広場は南宋の1352年に建設された城壁の南門の遺跡です。
  画像2:天后宮山門の門飾り
       この山門は1990年に改修されたものです。
  画像3:承天寺大雄寶殿
  画像4:承天寺大雄寶殿の門飾り
  画像5:開元寺境内の収蔵門飾り

第1節 泉州市 終